笹塚diary

渋谷区笹塚を愛し、この場所で生活するシングルマザーの日記

2024.3.3:本が売れてうれしい

ヒカリエの「渋谷〇〇書店」に行く。昨年の夏からこのシェア型書店に本棚を借り、90年代カルチャーをテーマにセレクトした古書・雑誌を売っている。

一カ月ぶりに覗いたところ、前回来た時に棚に置いた本のほとんどが売れてスカスカになっていた。買ってくれた人は、どんなことを考えて手にしてくれたんだろう。履歴を見てみると、補充の店番に入った翌日に何冊もまとめて売れたりしている。買ってくれた人の顔がリアルタイムで見れたらいいのにと思う。いつか自分でも古本屋を開いてみたい。

この棚の「開店」に合わせ、noteに書いた記事をもとに制作したフリーペーパーもすべてなくなっていた。8月に200部刷ったのがこれですべてはけたことになる。有料のZINEが多く並ぶ棚に無料で置いていることもあり、気軽に持って行ってもらっているのだろうけれど、自分が書いたものに少しでも興味をもってもらえるのはやっぱりうれしい。

その後、波木銅さんのトークイベントを見に、渋谷の大盛堂書店へ。今回のトークイベントは新刊「ニュー・サバービア」の刊行を記念して企画されたもので、対談相手の作家・額賀澪さんは大学時代の波木さんの恩師であり、師弟対談になる(額賀さんとは私自身も個人的にご縁あり)。

お話の主人公はシニカルで雄弁なパワフルガールで、著者の波木さんご本人も腰までありそうなロングヘアに紫色のスカジャンを着て、ワニのピアスをしていた、のだが、うつむきながら言葉を選んでぽつりぽつりと話す、作品と外見の印象とは真逆のシャイな方だった。そんな彼を明るく元気な額賀さんがリードする形でイベントは進行。額賀さんが語る本作の丁寧な解釈に、彼女の著書に共通して流れる温もりの源泉を見た気がした。

主人公の過激な発言はご自身の思っていることでもあるのかと問われた際、「それは違います」と強く断言していたのが印象的だった。波木さんの中の宇宙がもっと見てみたい!次作も楽しみだ。帰り際、お二人にサインをいただく。

明大前に自転車を停めていたので、帰りに代田橋駅前の「予感」に寄り道。植本一子さんのインスタなどでよく紹介されていて以前から気になっており、ちょうど店主さんがいらしたので思い切ってドアを開けてみた。飲食ができるセレクトショップだったが、そもそもはご自分のつくったハンカチを売るために借りたお店なのだそう。私の本棚も趣旨は同じだけれど、京王線沿線の駅前にお店を借りてしまうとは、規模が全然違う。すごい。お店に置いてあったrelaxのバックナンバーの充実ぶりから同世代のカルチャー話に花が咲く。

その後は、予感の店主さんに紹介していただいた「バックパックブックス」さんへ。

旅や山に関する本をはじめ、映画・音楽・カルチャーなど、店主さんの哲学が感じられる濃密な選書に興奮。生活エリアにこんな素敵な本屋さんがあったとは。今まで知らなかったのが悔しい。

なんだかやけに「本」づいていた、本が売れてうれしかった一日。

2024.2.26-3.2:カモがいた毎日

笹塚にやってきたカモたちに、すっかり夢中。

後から来た「つがい」のカルガモ二匹は、基本的に朝と夜はいなくて、昼にどこかからやってきて食事を楽しんでいるようだった。いつもメスの方が食べるのに夢中で、オスはあたりを警戒している。一般的に難しいとされている雄雌の見分け方も、このつがいを定点観測しているうちにわかってきた。オスの方は色が濃くて尾羽がしっかりしており、メスの方はほっそりとしていて(あれだけ食べているのに)色が薄く、優しい雰囲気を漂わせている。

一方、数週間前からいる元ガモには、頬にチークのようなグレーの模様があり(かわいい)、羽の一部が身体に収納しきれず少しだけ出ていた。三匹が同時に同じ場所にいても、元ガモは少し離れたところからせっせと食事をする二匹を静かに眺めていたりして、積極的に縄張り争いをするような様子はない。歩き方もおぼつかないし、もしかしたら結構年を取っているのかもしれない、と思った。

基本的には眠っていたり、毛づくろいをしていてあまり動かない元ガモだったけれど、一度、旧水路をスイスイと泳ぎ、暗渠の中へ意気揚々と入っていく場面を恋人が目撃したことがあり、その動画を見せてもらった時にはワクワクした。元ガモの冒険だ!と。

それ以来、見かけない時には「また『冒険』に出かけているのかな」と想像するようになった。また、いつもの場所にいないと思った時にも、風が強い日は橋の下にいたり、帰ってきて撮った写真を確認すると写り込んでいることがあった。今日はどこにいるんだろう、と川辺を探すのも楽しかった。

朝・昼・晩と、笹塚駅を利用する時には必ず玉川上水の旧水路に立ち寄るようにし、カモたちがいたら喜んでしばらく様子を見守った。

昼の玉川上水にはゆっくり足を止めて川面を眺めている人もいた。出先から戻る途中、遠くから元カモを見つけて、あ、いる、と胸を弾ませて近づいた私に、ここどうぞ、とカモウォッチングの場所を譲ってくださったおばさまからは「毎年来ているのよ」「昨年はこのカモもつがいだったの」「夏前まではここにいるはず」と、ローカル情報を教えてもらうことができた。

以前、笹塚の街は若い人が多いと書いたけれど、東北沢方面に高齢者向け住宅施設があるようで、この辺りではヘルパーさんに付き添われて川沿いを散歩する年配の方々をよく見かけた。立ち止まって川沿いの桜や草花、水鳥を眺めている人も多く、都心とはとても思えないのどかな雰囲気が漂う。笹塚の街の新たな一面を知った気がする。

週末も笹塚にいるカモたちを気にして遠出はせず、明大前を流れる神田川のカモを見に行った。このあたりにはたまにカルガモマガモの雑種だと思われる「マルガモ」がいるのだが、他のカモに比べて気性が荒く、縄張りに入ってくるマガモカルガモがいるとすぐに追い返してしまう。その心を「自分のアイデンティティがわからなくなって、荒れているのかな」などと推測してみたり。こんなふうにカモたちの様子を眺めているだけであっという間に時間が経ってしまうのだった。

(笹塚に来たカモの話はこちらにも書いています)

2024.2.23-25:久しぶりの二日酔い

週末、息子の部活の保護者飲みがあった。練習試合や保護者会などで顔を合わせ、個別にはちょくちょく会ったりもしてきたけれど、じっくり飲むのは初めてだった。

参加したお母さんたちは酒豪ぞろいで、思わずつられて飲みすぎてしまった。帰宅してからは息子に絡みまくった、らしい。珍しく記憶がない。気分が悪く、朝までうなされる。こんなに飲んだのは、子どもを産んでから初めてかもしれない。

翌朝、息子から昨晩の醜態を楽しそうに語られ、恥ずかしい思いをした。今後、二度と深酒はしないし、次の保護者会では途中から絶対にウーロン茶にする!と決意する。

でも楽しかった。永らく『ママ友』との複合的な関係で苦労してきたが(小学校時代の野球チームとか)、このメンバーは子供を産む前から仲良かったような気のおけなさ。大事な子どもを同じ学校に通わせたいと熱望し、所属した部活動を同じように熱心に応援している、という点で既に気が合うのかもしれない。子どもたちが大人になってからも、ずっと仲良しでいられる気がする。

息子が父親の家へ出かけた後、私は笹塚の恋人の家へ。あまりの気分の悪さにぬいぐるみを抱え、ベッドに横になっていることしかできなかった。そんな私に彼は、ポカリやヨーグルト、トマトジュース、ヘパリーゼしじみの味噌汁など二日酔いにきくものをわんさか買ってきてくれ、自分は仕事に出かけて行った。

片や飲みまくった挙句の二日酔いで、なんとも情けない。落ち込む私に彼は「子育てが落ち着いてきて、やっと二日酔いになるまで飲めるようになったんだね、よかったじゃない」と言ってくれた。一言も責めずに慰めてくれた優しさが身に沁みる。以前、彼が体調を崩した時、日ごろの不摂生に言及してしまったことを思い出し反省した。これからは私も何も言わず存分に労わることにする。

夕方になってから、新宿の紀伊国屋書店へ。大好きな高山一実ちゃんが出版した絵本の「お渡し会」があった。初めて本人に会えるのに(初めてこういうイベントに当選した!)、まさか二日酔いの絶不調とは悔やまれる。昨日あんなに飲まなければと何度も思った。

実物の“かずみん”は、メディアで見るより可愛らしく、昼過ぎからずっと「お渡し」続けているのに元気いっぱいだった。「次作も楽しみにしています」と伝えると「ありがとうございます!がんばります!」と、ガッツポーズをしてくれた。直接手渡してもらった絵本「がっぴちゃん」、大事にする。

あんなに可愛らしくて素敵な人がこの世にいるのだ、と、考えるだけで幸せな気持ちになる。かずみんにはずっとニコニコしていてほしいし、その笑顔を曇らせる出来事がひとつも起きないでほしい。

満ち足りた気持ちで笹塚に戻ると、玉川上水のカモが三匹に増えていた! 二匹のつがいが初めて来た日でもあった。後から来たこの「つがい」に対して、最初に発見したカモについては「元ガモ」と呼ぶことにした。

陸地ですましているのが「元ガモ」

 

2024.2.22:スマホを落とした

この日の朝のカモは、満開の河津桜を見上げているように見えた。

駅まで恋人を見送り、家に戻ってきて早速、お花見カモの写真を送ろう!と上着のポケットを探ると、あれ、ない。バッグの中にも部屋の中にもない。

駅からの道を戻ってみたが見つからなかった。歩道を掃除しているパチンコ店の店員さんに「この辺りにスマホ落ちてませんでしたか?」と尋ねると、「え!スマホですか!」とすぐに拾得物確認をし、「早く見つかるといいですね」と心配してくれた。

もうやれることはなさそうなので、笹塚交番に遺失届を出しに行くことに。交番のドアを開けようとすると、中に私のスマホを手に取っているお巡りさんの姿が見えた。

「あ、それ!」
「あ、これ、ちょうど今届いたんですよ」
「私のですー!」

どこで落としたか、どんな壁紙にしているか(2歳当時の息子)を尋ねられ、身分証明書の確認も。ちょうどスマホカバーのポケットに航空チケットの半券が挟まっていたこともあり、すぐに渡してもらえた。お巡りさんも「親切な方が届けてくださったんですよ。見つかってよかったですね」と喜んでくれた。

すぐに恋人に桜を見上げるカモの写真を送る。無事、送れて良かった。

仕事がひと段落したところで自分の家に帰ると、ちょうど学校から息子が帰ってきたところだった。「今朝、スマホ落としちゃったんだけど、親切な人に拾ってもらえたんだよ」と話しながら、上着のポケットからスマホを取り出そうとすると「あれ?ない」。

息子は「さすがに嘘でしょ?」と大笑いしている。

バッグをひっくり返しても、ない。息子から私に電話をかけてもらっても呼び出し音がしない。もしかしたら帰り道で落としたのかも、と再び恋人の家まで戻ったが、見当たらなかった。マンションの下の店舗の店員さんにも、この辺りでスマホを見かけなかったかを聞いてみると「それは大変ですね!」とわざわざお店から出てきて一緒にマンションの周りを捜索してくれた。見つからなかったけれど、ありがたかった。

仕方がないので、再び交番へ行くことに。よりによって朝と同じお巡りさんが座っている。気まずい。

「すみません、信じられないと思うんですけれど。またスマホを落としてしまって」「ええ!?」

先ほど喜んでくれたこのお巡りさんにも、わざわざ交番までスマホを届けてくださった方にも、なんだか申し訳なかった。

遺失届と引き換えに問い合わせ番号が書かれた紙をもらい、思わずポケットに入れようとしたところ「ほら!ポケットに入れるとまた落としちゃいますよ!ちゃんとバッグに入れてください!今、僕が見ている目の前で入れてください」とあきれ顔。すみません……。

家に帰ってから「iPhoneを探す」の機能を思い出し、Macbookから場所を確認してみると、どうやら恋人の家のゴミ集積場にあるようだった。家に帰る前にごみをまとめて捨てた時、上着のポケットから滑り落ちてしまったらしい。

実は先日の旅行先の大久野島でも、ウサギを抱きながら腰かけた場所にスマホを忘れてきていた。どうして私はこんなに、スマホをなくすんだろう。

もしかしたら、スマホなんて世の中からなくなってしまえばいい、と思っているから、ぞんざいに扱ってしまうのかもしれない。普段からスマホの置き忘れや充電切れが多いため、恋人には「スマホに興味なさすぎ」と呆れられている。いまだに文字入力はガラケー打ちだ。

数年前にスマホを落としたまま仕事をしていた時には、取材相手の大学生に「なんでそんな冷静にしていられるんですか?僕だったら仕事どころじゃないです」と驚かれたことがある。今回もスマホを失くした話をした全ての人がとても心配してくれた。

でも、実際に私が困ったのは、すぐにカモの写真が送れないことと、電話に出られないことで仕事に支障が出ることぐらいだった。でも、それならガラケーでもいい。

自分にとって、スマホがなければできないことは少ない。このブログもPCから書いているし、写真を撮りたいならデジカメもある。自転車移動が主なので音楽は家で聴くし、電車の中では本を読んでいる。スマホにあって便利だと思うのは、すぐに物事を検索できるSafariと道案内をしてもらえるグーグルマップの機能ぐらい。

一方で、スマホがあるせいでできない、と思うことはよくある。人からの連絡を気にせずにいることとか、スマホなしで仕事をすることとか。映画「PERFECT DAYS」を観た時、小銭と車のキーとガラケーだけ持って外出する主人公を心底羨ましいと思った。いつの間にか世の中ではスマホがインフラの一つになっていて、何につけても当然のように使用を求められることに憤りを感じている自分がいる。

こんな風に「本当は要らないのに」と思い続ける限り、きっと私はまたスマホを落としてしまうだろう。だからスマホケースにペンギンのプラ板キーホルダーを付けることにした。小学生時代の息子が学童でつくってくれた、かわいくて大事なキーホルダー。これでスマホをなくさないようにしようと思える。

何だかスマホへの恨み辛みになってしまったけど、要するに1日に2度もスマホを落としてしまったという、ただのうっかり話である。

2024.2.13-21:日記しか書けないけどまだ書いてる

大学時代のゼミの友人たちと20年ぶりに会った。

私が所属していたのは小説の創作ゼミだった。何年も連続で直木賞候補になったけれど結局受賞できなかった、という作家の先生のもとで日々小説を書き、互いに論評し合い、年に一度雑誌をつくった。一応、そのゼミからは文学賞を受賞した商業作家やその道ではちょっと有名なノンフィクションライターも出ている。

私がそのゼミを選んだのは指導教員のファンだったからというミーハーな理由。それまで小説を読むのは好きでも、自分では一度も書いたことがなかった。毎週の課題でもどうしてもうまく書けなくて、毎年ゼミ誌には自分の日記をまとめて掲載していた。先生には「君は自分の半径何メートルのことしか書けないんだな」と叱られながら、居心地の良さに3年も在籍した挙句、やっぱりまともな小説は一度も書けなかった。先生ごめんなさい。

でも、普段から暇を見つけては何か書いている仲間の姿を眺めたり、「書いてる?」「あの本読んだ?」と気楽に言い合える雰囲気が好きだった。高校生の頃は何か読んだり書いたりすることを恥ずかしいことのように思っていたけれど、そのゼミには読むことが好きな子と書くことが好きな子しかいなかったから。私の日記も皆、小説のように真剣に読んでくれて、「自分のことをここまでさらけ出すその心意気を評価したい」と言ってもらえたことは今も、一から物を生み出せない自分の支えになっている。

まだみんなは何か書いているの?と尋ねると、一人は漫画に転向し、一人は数年前に書いたきりで、一人は卒業以来一度も書いていないと言っていた。

私自身は、結婚して子供を産んで離婚して恋愛をして、今はその日々のことをブログに書いていると言ったら、皆「さすが!」と大笑いしながらも、喜んでくれた。「まだ書いているんだね」。

うん、やっぱり日記しか書けないけど、書き続けている。

お気に入りの場所にいるカモ

笹塚に一匹のカモがきてから、私たちの生活はすっかりカモ中心になった。

朝は、笹塚駅まで恋人を見送りつつ玉川上水旧水路に立ち寄り、二人でカモがいるかを確認。日中、仕事先から直帰する際には必ず見に行き、夜は仕事帰りの恋人から「いたよ」「今日はいなかった」と写真付きで報告がある。
普段、カモ類は同じ場所に長く滞在することはそれほどないように思うのだが(日によっている場所が違う)、このカモは大体いる場所が決まっていた。

週末は自転車で代々木公園へ。中央の池でマガモカルガモが気持ち良さそうに泳ぐ姿を眺めた後は、笹塚のカモにあげるためのどんぐりを拾った。

カモのためにどんぐりを探す

「いつもの場所」ですましている『笹塚のカモ』にドングリを転がし落とすと(餌付けはしたくないので、偶然を装いさりげなく)、一つだけ食べてくれた。嬉しい!

“カモパトロール”の前後には、旧水路の近くの「麦と卵」でパスタを食べることが増えた。おすすめはローストチキンと卵が乗った「ペペたま」。生パスタがもちもちでおいしい。

この週は仕事が立て込み、心身ともにかなりきつい状況だったけれど、今日もカルガモが笹塚にいる、と思うだけで心が明るくなった。

2024.2.10-12:笹塚にカモがきた

三連休の初日は息子と焼き肉ランチ。
いつもはそれほど白米を食べない息子が、ライスを大盛りにしてぺろりと完食していた。「ごはんはおいしいな」としみじみしている。
前日から引き続きお土産話を聞かせてもらった。少しやせた息子の顔をふと見ると、これまで見たことのない大人びた表情をしていて、はっとした。
夜はアジの開きとほうれん草のおひたし、息子の好物の豚汁に。しばらくは日本食をつくろうと思う。

連休二日目は、息子が出かけた後に笹塚へ。
会社に忘れた財布を取りに行って帰ってきた恋人が「商店街で何かのロケをやってて女優さんがいた!吉永小百合かな?」と言っていたので、私も散歩がてら見に行くことに。水道道路を歩いて、駅とは逆側から十号通り商店街に入った。

撮影は商店街入口の柳屋の店内で行われていた。エキストラの方は整然と餃子店側に並び、商店街の通行人が通りやすいように道をあけてくれていた。すれ違う瞬間、「ただいま撮影中」の看板を持ったスタッフさんが、私たちに「お邪魔しています」と言ってくれる。なんだかうれしい。

結局、彼が見たのは吉永小百合かどうかは不明のまま。でも、とにかく上品な、少しお年を召した女優さんだったそう(やっぱり吉永小百合かも)。

三日目は、笹塚の玉川上水旧水路へ。

私たちはこれまでカモを笹塚で見たことがなかった。春先に玉川上水で子育てをするカモがいるという話を昨年の秋ごろにSNSで知り、絶対に今年は目撃したいと思っていた。大好きなカモを大好きな笹塚で、普段の生活圏内で見てみたい!と。

(カモへの愛はこちらにも書いています)

この日、そろそろカモがきているのではないかと、毎日のように「カモ 笹塚」で検索して目撃情報を調べていた彼が言いだした。笹塚から下北沢へ行く途中の玉川上水旧水路で見かけたという投稿があったらしい。

目撃情報のあった川沿いを歩いていくと、本当にポツンと一匹、川の中にカルガモがいた!すました顔でたたずんでいる。

手を取り合わんばかりに大感激する私たち。交代でカモと記念写真を撮った。この日の写真の二人は、とってもうれしそうで、幸せそうだ。

川から出たカモは、お腹を地面につけてぺったり座ったりしていた。羽は背中の丸みに沿っておらず、ひらべったくなっている。これまで見てきたカモ類では見たことがない姿勢だった。

もしかしたら、これから卵を産むのかな、お腹が重いからあまり動けないのかもね、子育てのためにこの川にきたのかも、もしかしたらこれからヒナが見られるのかな?とあれこれ想像してワクワクした。

私みたいに、あなたも笹塚を、この場所を気に入ってくれるといいな。

今思えばこの日が、一生忘れないと思える三週間のはじまりだった。

2024.2.6-9:息子が帰ってきた

旅行から帰った後の4日間は、笹塚から出ずに過ごした。朝、出勤する恋人を笹塚駅で見送り、彼の家に戻って仕事をして、夜はまた駅まで彼を迎えにいく。そのあとは栄湯へ行ったり、ドラマやYoutubeを見たり、夜が更けるまで話したり、朝は4枚切りのパンでフレンチトーストをつくってもらったり、エアコンの掃除をしたらとんでもなく部屋が暖かくなったり。

これまで私は、自分のことを絶対に「一人の時間」が必要なタイプだと思ってきた。誰とも話さず、誰かのつけたテレビや音楽が流れない部屋で静かに過ごす時間が。

でも今回、一度も自分の家に帰りたいと思わなかった。一人になれる場所は、煙草の匂いがこもる猫の額ぐらいのキッチンしかなかったのに。

久しぶりに家に戻り、会社の人とオンライン打ち合わせをしていると、息子が帰ってきた。気もそぞろに打ち合わせを切り上げ、おかえり!と、飛びつくようにハグをする。何か英語で話してよ、と言うと、きっと向こうで何度も繰り返したであろう英語の自己紹介をしてくれた。語学研修に行ってそれか!とも思ったけれど、もともとシャイな性格で、これまで絶対に私の前で英語を話したりしてくれることはなかったことを思うと、感無量だった。

ちなみに息子が初めての海外体験で学んだことは「身振り手振りとグーグル翻訳があれば、英語はいらない」「やっぱり日本が一番(特にご飯)」だそう。アナタ、語学研修へ行ってきたんですよね……?

自室に荷物を置いてきた息子に、研修先の国で撮った写真をたくさん見せてもらった。最後の一枚は、ハンバーガーセットの写真。

「空港に着いた初日は店員さんの言っていることがよくわからなくて、コーラとハンバーガーを単品で頼んだんだけど。帰国する日は同じ店でセットメニューを頼めるようになった。同じ値段でポテトがついてきた」

うん、良かった。それで良かったのだ。

何より、元気に帰ってきてくれたことがうれしい。

とにかく日本のご飯が食べたいというので、夜は白米山盛りとけんちん汁にした。