笹塚diary

渋谷区笹塚を愛し、この場所で生活するシングルマザーの日記

2024.2.5:雨の京都から雪の笹塚へ

旅行最終日の朝食は、泉仙の仕出しの精進料理。割烹着を着たお店の方が部屋まで運んできてくださった。お肉やお魚がなくても、丁寧につくられた一品一品をいただくことができて大満足。旅の朝食はこのぐらいがちょうどいい。

チェックアウトするまでは、朝風呂に入りながら鴨川を眺めたり、部屋の大きな窓から、飛んだり泳いだりしているカモを眺めた。

カモがおもしろいのは、住んでいる場所によって気性や振る舞いも違うところ。鴨川のカモは雄大な川の流れの中で生活しているからか、悠々として逞しく活動的な気がする。東京の河川にいるカモはそれほど頻繁に飛んだりしないし、京都のカモに比べておとなしい。また、東京でもアスファルトで埋め立てられた神田川と、緑豊かな善福寺公園にいるカモではまた様子が違ってくる。もしかしたら、カモも自分の性格に合った場所を生活場所に選んでいるのだろうか。

逆に、どの場所でも変わらないのは、メスの食い意地(やっぱり子育てするからか)。水草を夢中で食べるメスの傍には、その動きを気にしながらつかず離れず自分も餌をつつくオスがいる。決して遠くに離れてしまうことなく、すぐに寄り添うカモの夫婦を眺めるのは微笑ましく、飽きない。

セール会場で夢中になっている奥さんを待つ旦那さんのような雰囲気

しかし、こんなにも私たちの身近にいる鳥なのにカモの生態は意外にわかっていないことが多いのだとか。だからこそ「あの時、あのカモがあの場所にいたのは、こういう理由だからなのかな?」とか、不思議な行動をするカモに「今、どんなこと考えてるんだろう?」などと、あれこれ想像してみる余地があるのがまた楽しい。

宿をチェックアウトしてから、バスで浄土寺の名物書店「ホホホ座」へ(昔、恵文社へ行った時には必ず、ホホホ座前身のガケ書店にも寄っていた)。ここではいろいろな書店で見かけて気になっていた「コジコジにきいてみた」を購入。コジコジのかわいらしさも、内容の良さもさることながら、表紙の特色のピンクがすてきな一冊で、奥付を見ると有山達也さんのデザインだった。

その後、丸善大垣書店本店をまわって恋人が編集した書籍が売り場に並んでいるのを確認。笹塚で見つけた時もうれしかったけれど、旅先でも売られているのを見るのは格別にうれしい。

雨が強くなってきたので、アーケードの錦市場へ。海鮮丼や鱧の天ぷら、たい焼きなどを食べ歩き、三木鶏卵のだし巻き玉子をお土産に買う。

宿に荷物を取りに行きがてら、最後の鴨川散歩。

この日は雨で河川敷に人がいなかったからか、念願の「川から陸地にあがってくるカモ」を見ることができた。夫婦でてくてく河川敷を歩くマガモと一緒に、並んでお散歩できて大喜びしている恋人のぴかぴかの笑顔をカメラに収める。

東京に大雪の予報が出ていたので、少し早めに新幹線で帰ることに。京都駅で、大好きな志津屋のカルネと中村藤吉本店の抹茶ゼリーを買う。

笹塚に帰り着くと、ホームにも雪が積もっていた。

旅の終わりはいつも寂しいけれど、この日は大好きな街の珍しい雪景色にテンションを上げながら明るい夜道を歩き、家に帰り着いた。

恋人は京都駅で551の肉まんと八つ橋を買ってきていた。彼はよく「家で食べられるお土産を買えば、帰ってきてもしばらく旅が続くんだよ」と言う。肉まんやだし巻き玉子を夜ごはん代わりに、広島と京都で撮った写真を見ながらこの3日間のことを思い出し語り合った。たくさんのウサギとカモに会えたことや、何度もおいしいものを食べたことや、尾道の素晴らしい景色や、飛行機にもフェリーにも在来線にも新幹線にも乗ったこと。

旅は楽しい。

そして旅より楽しいのは、大好きな笹塚の街で、大好きな人と楽しかった旅の思い出を語らうことなのだった。

2024.2.4-2:カモが見たくて鴨川へ

広島からわざわざ京都に寄った一番の理由は「カモをたくさん見るため(特にマガモカルガモ)」だった。

恋人と私は、週末になると池や川にカモを見に行く「カモファン(見る専門、特に陸地に上がってくるのを見るのが好き)」なのだが、そのきっかけになったのは、昨年2月の京都旅行だった。

鴨川沿いを歩いているとあちらこちらにマガモがおり、私が「ちゃんと必ず『つがい』でいるなんて不思議だね」と感心すると、恋人は「これ、みんな夫婦なの?」と驚いていた。俄然カモの生態に興味を持った私たちは、泊まっていた三条のホテルから京都駅近くの九条まで鴨川のカモを眺めながら歩き続けた(前日は出町柳の鴨川デルタまで歩いているので、二条から九条まで、カモを追いながら16.15キロ歩き通したことになる)。

東京へ戻ってからも、神田川善福寺川、皇居のお堀、代々木公園や井の頭公園などでカルガモ観察を続けていたが、渡り鳥のマガモはそれほど多く見られず、さらに陸地を散歩するカモはほとんどいないことがわかった。そこで、再び、冬の鴨川でたくさんのマガモがのんびり散歩する姿を見たいと思うようになっていた。

(カモへの愛については翌日の日記でも書きました)

sasazukadiary.hatenablog.com

この日に泊まったのは「SGR鴨川」。鴨川沿いに立つ宿で、全室が鴨川ビューになっている。鴨川のカモを見るために京都へ来た、私たちのためにあるような宿だった。

チェックインして早々に、窓から鴨川にマガモを発見して大興奮!

部屋に鴨川を眺められるような、椅子のある広縁(小上がり)があるといいと思っていたけれど、ここの宿の広縁は椅子どころかソファーになっており、手前に広い畳もあって、川を眺めながら寛ぐことができる。お風呂も鴨川ビューなので、カモをみながら入浴できるし、キッチンとデスクと洗濯機もついており、泊まるだけじゃなく住んでみたいと思うような宿だった。

窓から見える景色はこんな感じ

 

また、この旅行中に「祇園きなな」のきなな(きなこアイス)を食べに行こうと思っていたのだが、チェックイン時のサービスでいただくことができてしまった。私たちにとって京都にこれ以上の宿はないと断言できる。次回も絶対に泊まります。

昨年よりも鴨川に浮かぶマガモの数は少なかった。今年は暖かいからだろうか、陸地にも少ないのは去年よりも歩いている人が多いから上がってこないのだろうか、などと考察する。それでも東京よりずっとカモの数は多くて、マガモカルガモヒドリガモオナガガモオオバンなどを観察しながら四条から出町柳まで鴨川沿いを歩いた。

出町柳から一乗寺まで叡山電鉄に乗って「恵文社一乗寺店」へ。この書店は独立系書店の先駆けともいえる店で、私が20代の頃は、この書店へ行くためだけに京都へ行ったりもしていた。仕事で雑誌や書籍の編集をしている彼には、ぜひ一度この素晴らしい書店に足を運んでほしかった。

夜はおでんが食べたいと思い、宿の近くの「だるまときんぎょ」へ。

着席すると隣の席の人がちょうど店をでるところで、店主さんに「ずっと来たかったんです」と話していたのだけれど、確かに一つひとつの種がそう言われるのも納得の味。大根、卵などの定番から、ウインナー、トマト、豚しゃぶなどの変わり種も頼み、ポテトサラダの予想外のおいしさにびっくり。後から口コミなどを読んでみると、おでんのだしがしみたたまごとじゃがいもを使ってつくっているのだとか。そりゃ、おいしいわけだ。

(食べかけだけど、一口食べてあまりのおいしさに驚き、写真を撮らせてもらった)

「絶対また来よう」と言いながら店を出、夜の高瀬川沿いを歩いて宿へ帰った。

明日は雨予報だけれど、引き続き鴨川でカモを観察する予定。雨なら鴨川沿いを歩く人も少ないから、今日よりもたくさん陸に上がってくるかもしれない。

2024.2.4-1 尾道を歩く

前日から宿泊していたのは「SIMA inn」という古民家を改装したゲストハウス。

スナックやバーなどが立ち並ぶ歓楽街の路地にあったので、部屋には『周辺の飲食店の音が賑やかなのはご理解ください』というような張り紙があったけれど、この日は静かで落ち着いていて、過ごしやすい宿だった。

singaihostels.com

幸い雨があがっていたので、朝から尾道の街歩きに出発。以前、尾道のガイド記事を執筆したことがあるという恋人がガイドしてくれた。

市街地から踏切を渡り、線路を超えて千光寺山の方へ。目の前にはこれぞ尾道という階段続きの道が続き、後ろには古い街並みを見下ろす絶景が広がる。

狭い路地には地域ネコがいた。

路地をすり抜けていく二匹の猫を見送った後、「ネコノテパン工場」へ。

お客さんが一人しか入れないぐらいの小さなお店である上に、女性の職人さんたちが小さな手でつくっているので『ネコノテ』パン工場という名前らしい。

小さなお店なので、すぐに行列ができてしまう。開店と同時に地元のおじさんたちが息を切らして坂道を走ってきて、お店の前でお互い順番を譲り合っていたのがほほえましかった。

広島に来てから、お店の人や街の人から「どこから来たんですか?」と聞いてもらうことが何度もあって、その度に自分が旅に出ていることを実感した。この何年もそんなことを感じられるような余裕のある旅行はできていなかった気がする。

パンを食べに一度宿に戻った。小さくても食べ応えのあるクイニーアマン、メロンパン、そして初めて食べた「トライアングル」のおいしかったこと! さくさくのクッキー生地の三角形のパンの中に、とろりとしたチーズが入っていて、食べている間から「もう食べたい」。

再び千光寺山へ。ロープウェイに乗る前に「ガレットゥーリ・コモン」で、山頂で食べるワッフルを買った。手のひらサイズのかわいらしいワッフルサンド。

ロープウェイからは尾道の街と尾道水道が見渡せる。

ワッフルを食べながらしばらく絶景を眺め、今度は歩いて山を降りてゆく。古民家が立ち並ぶ小道を何度も振り返って惜しんだ。

下山してからは「おやつとやまねこ」の尾道プリンを買いに。本店には行列ができていたけれど、昨日夕食を食べた「こめどこ食堂」でも買えるということで、再びこめどこ食堂へ。裏口が「おやつとやまねこ海辺店」となっていて、尾道プリンやケーキがお店の中でゆっくり食べられる。

かわいらしい猫印の牛乳瓶に入った尾道プリンのほかに、尾道水道を渡った向島にあるという「USHIO CHOCOLATOL」のチョコレートもおみやげに。今度は向島にも行ってみたい。

お昼は「尾道WHARF」で大好きな牡蠣ざんまい。

tabelog.com

カキフライ定食に焼き牡蠣、そして生牡蠣。旬の新鮮な牡蠣に舌鼓を打つ。特産の瀬戸内レモンもきいている。

その後、県営倉庫をリノベーションしてつくられた「ONOMICHI U2」を見たり、しばらく海辺を散策したりした。

今回訪れた尾道は、将来の移住を夢見るぐらい大好きな街になった。

海と山が一緒にあるのは生まれ育った街に似ているし、こじんまりして落ち着いた雰囲気は今住んでいる笹塚にも似ている。空き家や古い建物を積極的に若い人たちが活用して、お店やアートスペースにして楽しもうという町全体の勢いも好ましい。古民家が残る町並みを眺めながら、ああ、映画に出てくる町だ、とノスタルジックな気持ちになる。短い滞在でも愛着がわく、懐かしさとときめきが同居する町だった。

次に来る時にはみはらし亭に泊まってみたいね、とか、今度はこういう行程にしようなどと未練がましく尾道について語りながら、在来線と新幹線を乗り継いで京都へ向かった。

2024.2.3:笹塚から大久野島、尾道へ

息子が海外研修へ出かけている間に、私も旅行の計画を立てた。

大好きな動物にたくさん会える旅にしたくて、野生のウサギが島中にいるという大久野島と、鴨川沿いにマガモがたくさん飛来している京都行きを決めた。その間に尾道散策も組み込んだ二泊三日の旅行。恋人がウサギとカモのイラストを入れたかわいい行程表をつくってくれた。笹塚のことではないけれど、すごく良い旅行だったので書き残しておこうと思う。

一日目は笹塚から羽田空港へ。私にとっては久しぶりの飛行機。子どものようにずっと窓の外を眺めていた。

広島空港に着くと、朝食代わりに早速もみじまんじゅうを。そしてタクシーで忠海まで行き、えしま家さんでお好み焼きをいただく。大葉と海老と豚のお好み焼きが、とってもおいしかった……! 1枚で東京で食べる2枚分のボリュームはあった。食べている最中なのに思わず「もう食べたい」と言ってしまった。

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大将がわざわざお店の外まで見送ってくださって、ウサギの餌が飼えるスーパーも教えてくれた。

フェリーで大久野島へ。出航するとすぐにカモメが追いかけてきた。

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港に着くなり、たくさんのウサギがあちらこちらにいるのが見えて大興奮。家から持ってきたにんじんやスーパーで買った餌をバッグから取り出すと、一目散にわらわらと駆け寄ってきた。たちまち辺りはウサギだらけに。しゃがめば膝に乗ってくるし、島を散策していると、うさぎが目の前に飛び出してきたりもする。幸せ!(ここでもまた、島にいるうちから「もう来たい」と言っていた)

途中、雨が降ってきたけれど、ウサギと一緒に雨宿りするのも楽しい。

大満足で忠海港へ戻り、在来線を乗り継いで尾道へ。宿泊はゲストハウスに。

夜は、恋人が以前仕事で訪問し、いつかプライベートでも来てみたいと思っていたという「こめどこ食堂」へ。

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いただいたのは、おばんざい盛り合わせ、ベビーリーフのカルパッチョ米粉と豆乳の味噌グラタン、世羅六穀豚のトンテキ、土鍋の炊き込みご飯、デザートのコース。

丁寧につくられた一品一品に心もおなかも大満足。

帰りにアーケードになっている商店街をぶらぶら歩きながら銭湯へ行くつもりが、ちょうど終わってしまったところだったので、宿でシャワーを浴び就寝。

翌日の尾道散策も楽しみ。

2024.1.28-2.2:一人きりの夜

息子が二週間の海外研修へ出かけていった。

彼にとってはこれが初めての海外で、出かける前に風邪をひいてはいけない、何か忘れ物があってはいけないと気を張り詰めていたけれど、出発する前の日はなかなか眠れず、当日の朝はマンションの下まで一緒に階段を降りながら、長く離れる不安と寂しさで涙が出てきてしまった。そんな私を「えっ、泣いてる!?」と笑いながらハグしてくれた息子は優しい。本人は大学生か社会人になったら一人暮らしをしたいと言っているけれど、息子が家を出る日のことを考えると、今から寂しくなってしまう(しつこく、何度も会いに行って嫌がられる親になるのではないか……)。

息子が旅立った後は恋人の家に泊まり込むことにしていたが、あいにくあちらが校了直前で残業続きの毎日。しかも彼自身が週末にカレーを作り置きしていたので、最初の方は夕食をつくる必要もなかった。夜は自分の家に戻って宅配便を受け取ったり、掃除をしたり、本を読んだり、溜めてしまっていたブログを書くなどしていた。

誰とも、誰のためにも過ごさない一人きりの夜はなんだか新鮮で、よく考えてみればこれほど長く自分のためだけに時間を使える夜は14年ぶりのことだった。

この間に読んだ本:「八本足の蝶」二階堂奥歯 「兎と呼ばれた女」矢川澄子 「花腐し」松浦寿輝 「40歳がくる!」雨宮まみ 

2/2、校了した恋人と「しゃけ小島」で“お疲れさま”ごはん。翌日から二泊三日の旅に出る。

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2024.1.27-2:大好きな街にいるわたし

昼過ぎ、仕事を終えた恋人が花束を抱えて帰ってきた。

前から気になっていた「hananona」さんで、私のイメージに合うものを選んでくれたそう。ピンク色のガーベラにチューリップ、そして恋人が自分で選んだ一輪は大好きな薄いピンク色のバラの花。花束をもらえたのもうれしかったけれど、花束を私に差し出す恋人の姿を見れたのがたまらなくうれしかった。一緒に約束のお手紙も。

ランチは初台の東京オペラシティ叙々苑へ。以前、ご両親と行ったことがあり、53階からの景色が素晴らしいので、私ともいつか行ってみたいと言ってくれていたのが、この日、叶った。都庁からスカイツリーまで見渡せる絶景を見ながらおいしいお肉をいただく。

帰りにダイヤモンドへ寄り、大好きな笹塚ロールを買ってもらった。

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もらった花束と一緒に外で写真を撮ってほしいとお願いしたところ、どうせなら私の大好きな笹塚の街でたくさん写真を撮ろう!ということに。「写ルンです」を持って、いつも行く笹塚のいろいろな場所を歩き回った。昨晩泣いたせいで、目が腫れている上に、花束を持っていたのでなんだかパートさんの最終出勤日みたいなショットもたくさんあったけれど、大好きな街にいる自分をたくさん記録してもらえたのがうれしかった。

自分の顔は好きじゃないけど、恋人が撮ってくれる自分の写真は好き。大好きな街と初めてもらった花束と一緒に撮ってもらった26枚の写真は一生大事にする。

2024.1.27-1:誕生日革命

私の恋人はそれほど気がきく方ではない(仕事ではできる人なのだけど)。誕生日や記念日などに何か贈り物をしてくれたり、お店を予約してくれるような人でもない。また、本人もそういうことを今までもしたことがないし、するものだと思ってもみなかったらしい。思わず「これまで、記念日とかの後に彼女に怒られたり振られてきたんじゃない?」と聞いたら「なんでわかるの?」と驚いていた。

でも、お願いしたことは誠意を持ってやってくれる人でもある。だから「私の誕生日には(彼の得意料理の)フレンチトーストを朝食につくってほしい。それからお手紙とお花をちょうだい」と具体的にお願いしてみた。昨年の誕生日にフレンチトーストをつくってくれてうれしかったのと、今年は彼が花束を抱えているところが見てみたかった。

42歳になる私はもはや誕生日をお祝いしてもらうことが嬉しい年齢でもないし、サプライズを期待してもいないし(むしろどんな顔をしていいかわからないからしないでほしい!)そういう彼のスマートでないところこそが好ましいと思っていた。

そう、思っていたのだ。
それなのに。

それにしても誕生日ってどの瞬間からはじまるものなのだろうか。0時になった瞬間?その日の朝に起きた瞬間?生まれた時間から?

昨年は「0時になった瞬間、おめでとうのLINEを送るね」と言って、本当に送ってくれた彼。だから今年もしてくれる気がしていた。校了前で残業続きだったのも知っていたけれど、昨年同様、0時ちょうどにお祝いのLINEをくれるのではないかと。

1月27日の0時。私は42歳になった。

その瞬間、私は仕事から帰ったばかりの彼とLINEのやり取りをしていた。いつものようにお互いの今日の話をしたりしているうちに、10分ほどして「そろそろビデオ通話する?」というメッセージがきたので、あれっ、と思った。ビデオ通話を繋いだ後も「元気ない?」「どうしたの?」と彼が言うので、なんでもない、と返していたが、「あ、0時過ぎてた!おめでとう」と言われた瞬間、涙が出てきてしまった。

「去年は、日付が変わった瞬間、おめでとうって言ってくれたのに!」
「もう、誕生日なんてなくなればいいのに!」

わー、め、面倒くさい……!!!!

今、こうして書いてみると、なんだかもう面倒くさすぎるし、どうかしている。また、42歳にもなったというのに、このへその曲げ方は恥ずかしすぎる。少し弁解させてもらうと、彼に0時ちょうどにお祝いをしてもらいたかったというよりは、昨年はしてもらえたことを忘れられてしまったというがっかりの方が大きかった。

「0時になったの気づかなかったんだ。ごめん。誕生日を忘れていたわけじゃないんだよ。だってほら、これ買ってきたよ」と、フレンチトーストをつくるための牛乳と卵を見せてくれた彼。

仕事で忙しい時期にこんなことで泣いてしまって申し訳なかったと思った。こんな恥ずかしすぎる話を、自戒を込めてあえてここに書いておこうと思う。

来年の誕生日が近くなったら、1月26日の23時55分にアラームを設定してもらうことにした。これで解決。目を腫らしたまま眠った。

翌朝、起きてきた息子が、開口一番に「誕生日おめでとう」と言ってくれた。
早寝の息子はいつも0時の時点では眠っているので、朝いちばんにおめでとうと言ってくれる。息子の誕生日も同じだ。日付が変わる頃にはもう息子は寝ているから、起きてきてすぐに「おめでとう」と言うことにしている。

息子と私の「誕生日のはじまり」は、朝いちばん。息子が物心ついてからずっと。もし息子が何も言ってくれない年があったら、やっぱり私は昨夜のように泣いてしまうだろうか。

嬉しい言葉をくれた息子は学校へ、私は昨日泣かされた(?)恋人の家へ。会うなりニヤニヤしながら「……お誕生日おめでとう」と言われる。恥ずかしすぎて平謝り。いい歳して!いい歳して!

念願のお手製のフレンチトーストをいただき、出勤する彼を駅まで送る道すがら「昨夜は『誕生日なんていらない!廃止だ!』とかなんとか、私、言っちゃって。あれは、もう誕生日革命寸前だったね」と笑う私に、彼は「昨日のこともう笑ってる。切り替えが早いの、本当にすごいね」と苦笑していた。

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