2026.2.14:最後の「麦と卵」
息子に明治のストロベリーチョコレートのBOXとアーモンドチョコレートをリボンでまとめて「はい、バレンタイン」と渡したら「やった~」と大喜びしていた。ゴディバの2粒より断然、こちらの方がうれしいと言う。今年も誰からもチョコをもらえないであろう息子をからかうつもりで「最近、女の子と話した?」と聞いてみると「話したよ」とムッとしている。「あらっ」と思った矢先、「購買のおばちゃんと話した」。息子の中では購買のおばちゃんも立派な女子。
深夜から早朝にかけて行われていた男子フィギュアスケートFSをTverで観る。波乱の結果。カザフのシャイドロフが金、優真くんが銀、駿くんが銅。ジャンプにミスが出てしょんぼりしていた優真くん(でも銀!)が、駿くんの銅メダルが決まった瞬間に喜びを爆発させる姿を見て、涙が止まらなかった。優真くんこそ、世界で一番スケーティングが上手くて、優しい人だと思う。
感動の余韻に浸りながら、休日出勤していたYを笹塚駅前のバス停まで迎えに行き、二人で「麦と卵」へ。突然の閉店のお知らせを見てから、ずっと行くのを迷っていた。昔から「これが最後だ」と思いながら過ごす時間が苦手で、後から「思えばあれが最後だったな」と思うぐらいがちょうどいいと思っている。そんな心の内をYに打ち明けると自分も同じだと言うのでさらに迷ったけれど、やっぱりあの味を最後にもう一度食べたくて、意を決して行くことに。
いつもの窓際カウンター席に通され、今日もやっぱりおいしい「ぺぺたま」を。これまでYが何度も家で再現しようとしたけれど、完全に同じ味にはならなかった。これが最後のチャンスということもあり、Yは無言で味の追究に集中している。私も、このコクはバターが入っているのかな?などと考えながら食べ進めた。新宿にも「麦と卵」はあるけれど、多分よほどのことがなければもう行かないだろう。
お会計を済ませて店を出ようとしたところ、あの俳優さんご夫婦がちょうど入店するところだったので、思わず声をかけてしまった。
「このお店でたまにお見かけしていました。もうすぐ閉店なのは寂しいですよね」。
閉店の寂しさで気が高ぶっていたのだと思う。お店に入っていく二人を見送り、我に返って「ああ、なんて失礼なこと……」と頭を抱えたけれど、Yが「二人ともニコニコしていたよ」と言うので、救われる思いがした。
その足で紀伊國屋書店笹塚店へ。KMさんから『笹塚アンソロジーフェア』で作っていただいたポップを受け取った。フェア終了後に処分するならいただきたいとお願いしていたもの。もはやこれは家宝だ。
十号通り商店街を歩いていると、Gentle Coffee Roastersの岩城さんが出店していたのでご挨拶。「ちょうど先ほど、『笹塚アンソロジー』を読んでコーヒーを買いにきてくれた方がいたんですよ」と、爽やかな笑顔で教えてくれた。その人は、代田橋のバックパックブックスで買って読んだとおっしゃっていたそう。うれしい。
パティスリーダイヤモンドで予約していた「レンガショコラ」(チョコレートケーキ)を受け取って、岩城さんが出演している恋愛リアリティショー「ラブパワーキングダム2」を見ながら、岩城さんから買ったコーヒーをいれて食べる。男女間でお互いに良いと思う人に投票して、人気のない人から脱落していくシステムらしい。なかなか厳しい始まりだったけど、私は「こうた」を断然、応援するぞ。
このレンガショコラをYにあげるバレンタインのチョコにしようと思って買ったのに、あまりにおいしすぎて結局、私が半分食べてしまった。
今日も笹塚飯で満ち足りたお腹を抱えて帰宅。
夜、寝支度をしていた息子が、毛布を持って「これによって戦況が変わってくるんだよな……」とつぶやいていた。明日は朝から練習試合で6時起き。布団の中が温かいと起きるのが辛くなるからと、布団から毛布を外す決断をしていた。まだ朝晩は冷えるのに、なんとストイックな。
この日記を書いているリビングテーブルの目の前の椅子には、明日着る制服と背負っていくリュックと試合に必要な用具がきちんとそろえて置かれてある。いつも息子は翌日の準備を済ませてから眠る。元夫も私も翌日の用意はしないで寝る派なのに(それでいつも朝から慌てている)どこで覚えたのだろう。子は育って行く。
2026.1.24:誕生日祝いのおでんとポテサラ
日記を書いていたら、Y(パートナー)が後ろから画面を覗き込んで「Yって……」と笑っている。「なんだか『私の上を通り過ぎた男たち……その一人はY……』みたいじゃない?」と。わかる気はする。わかる気はするんだけども。
それから二人で名前を考えてみたがしっくりこない。カモ太郎とかマガモくんとか?良い名前が思いつかず、私自身は書いていて違和感がないので、しばらくはYのままで行く。
最近、パートナーのことを日記上で「パートナー」と表すことに違和感があるので、今後は「Y」と表記する。Yは確かに私のパートナーだけど、なんだかその表現が説明過多のような気がしていた。その人はただその人なので、表記が文章上で必要以上に意味を持ってしまうことを避けたい。以前、ブログを始めた頃は「恋人」と書いていたのに、そんな甘い関係じゃないと「パートナー」に変えた経緯もあるし、また変わるかもしれないけれど。とりあえずしばらくは「Y」とする。
(1月6日の日記より)
***
朝、学校へ息子を送り出してから、数日前の日記を書く。やっぱり日記をまとめて書くのは2日分が限界だ。文フリ京都に向けて過去4日分の京都旅行日記をまとめて書く間、そして京都旅行中、京都から帰ってきてからはしばらく日記が書けていなかった。
日記を書き上げることで日々とも向き合える気がする。
朝食の片づけをし、BRCを聴きながら出かける準備。楓さんが先日の本屋バーで私があげた京都土産の鴨サブレの話をしてくれていた。
「家に持って帰る途中に、カモの『モ』の部分が割れちゃって」。「モ」の部分とはおしりの部分かな。単体の鴨サブレの持ち帰りも、名古屋土産のぴよりんチャレンジに近いものがあるのかもしれない。

日記を書き終え、笹塚の家に着いた私にYが「今日は一日、おでんをつくる日にする!」と宣言した。京都の『だるまときんぎょ』で食べたおでんとポテトサラダを再現し、私への少し早い誕生日プレゼントにしてくれるそう。確かに、あのおでんとポテトサラダを笹塚で食べられるのならもうそれは何よりうれしいプレゼントだ。京都で私たちはずっと『だるまときんぎょ』を笹塚に誘致する方法を話し合っていたのだから。
駅前のライフに買い出しに行くために家を出て、洋食屋マックの前の道にさしかかった。「このままいくとマックが見えてくるね……」「今日は土曜日だからやってるね……」「マック……」「マック、食べちゃう!?」というやりとりの末、今年何度目かのマックへ。今日はハンバーグとオムレツセット(1000円)を頼んだ。ハンバーグは言うまでもなく、カニオムレツがトロットロでおいしい。ハンバーグに目玉焼きがついていなかったので、鳥もも焼きセットを頼んでいたYから分けてもらった。
夢中で食べ進めるうちにお腹がきつくなってきた。普段ならここでバトンタッチするところだけど、どうしてもこの味を少しでも長く堪能したくて、なんとか食べきった。無理してでも食べたくなる味。お会計を済ませると、お姉さんが「毎度ありがとうございます」と言って送り出してくれた。ついに「毎度」がついた、とうれしくなる。

午後のデザートも買わなくちゃ(食いしん坊すぎるが)ということで、オパンに並んでいちごデニッシュを。ワッツでごみ袋や爪楊枝などの生活必需品を買い、紀伊國屋書店に『笹塚アンソロジー』フェアを見に寄った。フェア終了まであと8日。『笹塚の○○が好き』の企画で「マクドナルドはないのにマックがあるところ」と書いてあるカードを見て笑ってしまった。私もそう思うし、洋食屋マックにはマクドナルド100店舗分以上の価値があると思う。
家に帰ると、Yがはりきっておでんの仕込みを始めた。私は餅チーズ巾着のために炊飯器でもち米を炊いたぐらいで、あとはゆっくりしていて、という言葉に甘え、ベッドの上で『ミドルノート』(朝比奈あすか)を読んでいた。おいしいものを食べて、おいしいものができあがるまでの間、先の展開が気になる本を読んでいればいいなんて、幸せすぎる。台所からはおだしのいい香りがする。
おでんを冷ましている間につまらぬケンカをしてすぐに仲直りをし、「泣いたおかげでちょうどいい腹準備ができたんじゃない」とからかわれながら、Yがつくってくれたおでんを食べた。いつも私が作る、めんつゆ時短おでんとはまるで違うお店みたいな味。味のしみた大根、白滝、鶏もも、はんぺん。唯一担当した餅チーズ巾着もうまくいった。一緒に煮込んだ卵とじゃがいもからつくられたポテトサラダは、『だるまときんぎょ』とほぼ変わらない味で、「京都へ行かなくてもこれが食べられるなんて!」と感激。常々、家でお店の味を再現できる人はすごいと思っているのだが、ここにいた。
これにて『だるまときんぎょ』の笹塚への誘致が成功。一生懸命におでんを煮込んでいた彼の背中を、これから何度でも思い出そうと思う。


はじめて『だるまときんぎょ』へ行った時の日記。あれ以来、京都へ行く度に足を運んでいます。
2026.1.1:日記をつけ、本を読む一年
新しい年の始まり。今年の正月も快晴。
昨年は忙しさに日記を書けない日も多かったけれど、今年は二年前の初心に戻ってまた書き留めていきたいと思う。忘れっぽい私にとって日記を書くことは記憶の支えであり、自分と向き合う重要なきっかけになる。日記本『笹塚diary』の最後に「日記を書く自分を失いたくない」と書いた。あれから1年が経った今思うのは「日記を書きたいと思える私でいたい」ということ。そのためにも自分自身を見失わないように生活していきたい。
なかなか日記を書けなかったのは、あまりにインパクトの大きな出来事が続いて「書いて形にしておかなくては」という思いが強くなりすぎたゆえでもあった。でもそれは幸せなこと。今の私は以前の「書けない」自分とはまるで違う姿でいる。
今年目が覚めて最初にしたことは、PCを開いて北海道のいわた書店さんの「一万円選書」に申し込むことだった。依頼するとその人だけの本のカルテを作り、おすすめの本を一万円分詰めて送ってくれるサービス。
数年前にテレビのニュースで見たときは読みたい本だけを読みたいと思っていたから、誰かに本を薦めてもらうことなんて考えもしなかった。でも、昨年末に佐々木さんの「CG屋の日記」を読んで興味が湧いた。本を作ったことで、さまざまなジャンルの本に触れるようになり、読書の幅が広がり、自主的には絶対に選ばない本も読んでみたいと思うようになった。そんな自分の変化がなんだかうれしい。
2026年分の受付が1月1日の10時からと知り、数日前からアラームをセットしておいた。受付メールによると。今後申し込み順に案内が来るらしい。この選書に申し込めただけでなんだか幸先が良い気がする。昨年は本作りで精一杯だったから、今年はもっと落ち着いてたくさんの本を読みたいと思っている。
元日も24時間営業している駅前のトライアルGOで朝食用のたまごサンドを買い、パートナーと笹塚の街を散歩した。十号通り商店街や十号坂商店街でお互いの写真を撮り合う。お正月の笹塚に佇むわたしたち。

昼過ぎに彼は実家へ戻り、私は自宅へ。例年通り、元家族三人で初詣に行った。参拝後、家に戻ってお雑煮とおせちを食べながらお笑い番組を見て、Switchでスポーツゲーム(今年はゴルフ)を楽しんだ。ゲームの合間に屋台で買ったベビーカステラをつまみながら、元日の午後をのんびり過ごす。
四月に高校二年生になる息子の今年の目標は「たくさんごはんを食べること」だそう。おバカすぎる。さあさあ、あと二年後には受験ですよ、と言いたいところだけど、二年前の目標が「のんびり過ごすこと」だったことを思えば、少しは能動的になっていると思いたい。私も頑張って彼の米代を稼がなくては。
元夫と息子があちらの家へ行き、私は笹塚へ。すっぴんパジャマ姿でコンビニにビールを買いに行ったら、ご近所の本屋さんにばったり。近くの店の新年会へ行く途中だったらしい。恥ずかしさのあまり「あけましておめでとうございます」と言えかったな、と帰ってきてから気づいて少し後悔する。それでも年始から本屋さんに会えるなんてますます幸先がいい。本を読むぞ、今年は。
***
2026年は、Google ドキュメントに日記を書き貯め、その中から笹塚で過ごした日を中心にはてなブログも一か月に二度ほど更新し、春には日記本「続続・笹塚diary」(もしくは「続・笹塚diary ○○篇」「笹塚diary3」、タイトルどうしよう)を発行したいと思っています!
今年もよろしくお願いします。
2025.12.21:どこまでも歩いて行ける生活
部活に向かう息子を送り出し、昨日のお礼連絡や家事をすませて笹塚へ。
『洋食屋マック』に人が並んでいなかったら入ろうと、お店の手前まできたところで今日が日曜日だったことを思い出す。洋食屋マックの定休日をいつも忘れてしまう。大人気店なのに日曜日は絶対に休む、その堂々とした姿勢がすばらしい。
駅前まで歩いて『麦と卵』に入ることにした。今日ももちろん「ぺぺたま」を頼む(麦と卵はぺぺたまを食べる店だとさえ思っている)。グリルチキンにベーコン、ほうれん草が入ったぺペロンチーノ!もちもちとした生麺に卵をからませて食べるのが至福なのだ。

大好きすぎてこれ以外のメニューはどうしても頼めない。パートナーは「海老とごろごろ野菜のトマトソース」を頼んでいた。いつものように三分の一ぐらい分けてもらう。トマトソースがしみこんだ茄子がとってもおいしかった。
食べながら、数日前にXで見かけた「都会の人って『ホームセンターとドラッグストア行って、スーパーで食料品、シャトレーゼでアイス買おう』なんて日はどうしているの?」というポストの話題に。
笹塚の街がそのひとつの答えを示しているような気がする。スーパー、ドラッグストアやニトリ・無印など生活に必要なものを売る店は大体そろっていて、シャトレーゼはないけれど、サーティーワンもカルディも成城石井も駅前にある。チェーン店と個人店がほどよく混在し、用事のすべてが徒歩圏内で済む、東京の街らしい街。息子との生活、パートナーとの生活では持ちきれないほどの買い物をすることはないから、車は必要ない。必要なものを必要な時に買う。重たい飲み物は徒歩1分のコンビニで買えばいいし、お米は5kgで十分。食料の買いだめをしないから結局は経済的。そんなコンパクトな生活が気に入っている。たまに神奈川の実家に帰って両親の買い物に付き合う時には、家を出て父が運転する車に乗り込み、信号で止まっては発進を繰り返し(車酔いをするので、その間、早く着かないかなとずっと思っている)、駐車場で車を停め、やっとショッピングモールの入口に着く……という行程がひどく面倒に思えるようになってしまった。子育てでも、ベビーカーを押すことさえ煩わしく、抱っこひも一本で息子を育てあげたせっかちな(そして車の免許を持たない)私に、徒歩と自転車中心のこの生活は向いている。この街で、この足で、どこまでも歩いて行ける生活をずっと続けていきたい。
お隣のテーブルは、ご近所に住む俳優さんだった。笹塚の街でこの俳優さんご夫婦に会えた日はなんだかラッキーな気がする。二人で「おいしいね」と言い合いながら食べていらしたと、テーブル側に座っていたパートナーが教えてくれた。
駅前の紀伊國屋書店へ寄り、『笹塚アンソロジー』のフェア台で「笹塚のここが好き!」のシートを眺めていたら、ちょうど勝間田さんがいらしたので「こんなにたくさん書いていただけてうれしいですね」と喜び合う。
【新刊フェア】
— 紀伊國屋書店笹塚店 (@Kino_Sasazuka) 2025年11月23日
超ローカルエッセイ集 『笹塚アンソロジー』(カルガモBOOKS)ついに刊行🥹
14名の書き手による、それぞれの笹塚をぜひ読んでください‼︎
笹塚店では本日よりフェア開催‼︎
カルガモBOOKSさんの『笹塚diary』シリーズや、笹塚関連本など展開中📷皆さまぜひお立ち寄り下さい!KM pic.twitter.com/r40X7KURrq

シートが増えたために、展開をさらに上に伸ばしてくださったのだそう。天井に届きそうなフェア棚を三人で見上げていると、年配の男性が勝間田さんに「あなた、前職は靴職人なんだって?さすがだねえ」と話しかけてきた。「笹塚アンソロジー」を読んだ人しか知り得ない情報にびっくりして「『アンソロジー』を読んでくださったんですか?」と尋ねると「読みましたよ。面白かったねえ。俺はキャンティの近くに住んでるんだよ」とニコニコしていた。本を読んでくださった笹塚の街の方とお話できるなんて!あまりのうれしさに、これは日記に書いておかないと、と思う。
その後、「オパン」でいちごのデニッシュを、「bb.qオリーブチキンカフェ」でオリーブチキンフィンガーとポテトのセットを買い込んだ。今夜はM-1の決勝戦。パートナーは敗者復活戦から見ると言って張り切っているので、午後から完全におこもり予定。笹塚でおいしいものを食べたり、買ったり、本を見たり、こういう日がやっぱり最高なんだよね……と、いつものように二人で言い合いながら帰宅。
私はどうしても全日本フィギュアの女子フリーが見たくて(四年に一度の特別な全日本。冬季五輪の選考会なのだ)、M-1を見るパートナーの横でイヤホンをして、Tverのリアルタイム中継で最終グループの少し手前から見ることにした。ミスのない美しい演技が続く。最終滑走の坂本花織ちゃんも、ノーミスで五年連続優勝・三度目の五輪出場が決定。中野コーチには「あんたが優勝しないと選考が面倒なことになるから」とはっぱをかけられていたらしい。どれほどのプレッシャーだったろう、そしてなんたるメンタル。花織ちゃんの演技を見つめる樋口新葉ちゃんの涙を見て、こちらもうるっときてしまった。今回の全日本で引退する、ノービス・ジュニアの頃から見てきた選手がたくさんいる。この15年間、さなぎが蝶になるような成長と、たくさんの笑顔と涙を見せてもらってきた。本当にお疲れさまでした。
2025.10.18:かき氷と来年の約束

今週は仕事の出張が続いていて、久しぶりの笹塚。お腹を壊していたパートナーも、すっかり具合がよくなっていて安心する。蒼凛で天ぷらそばを食べ、十号通り商店街のスイーツハウスであまおうのかき氷を注文した。今回も、出てきたかき氷が写真よりも大きく見えて、びっくりする。
暑くも寒くもない、秋の風が気持ちのいいかき氷日和。店先のテーブルで大きなかき氷を二人がかりでぱくぱくと食べ進めていると「みんな見てる」とパートナーが耳打ちしてきた。確かに周囲を見渡すと、商店街を通る人たちが、私たちのかき氷をまじまじと見つめている。振り返って二度見する人もいた。通りすがりの人にじろじろ見られながらかき氷を食べるなんて初めての経験だったけれど、恥ずかしさよりも愉快さが上回って、楽しいひととき。私もまた、この商店街を歩く人をこんなにじっくり眺めたことはなかったと思う。
家に帰って二人で洗濯を干し、パートナーは外出。私は図書館経由で自宅に戻り、『笹塚アンソロジー』の著者校をゲラに反映する作業を続ける。今回は校正者の鉛筆も入っているので、かなり量が多い。
寄稿者の今井さんからは「全員とこんなに丁寧なやりとりをしているなんて」と言ってもらった。皆さんが入れてくれた赤字をゲラに反映していく作業は果てしなく楽しい。メールの文面や赤字からは原稿に込められた想いも感じることができる。笹塚で起きた事実関係や正式な店名などを確認する作業もまた、楽しいのだ。笹塚にまつわる本を作ることは、やっぱり自分にとってのご褒美なのだと思う。
来年5月の文学フリマ東京の申し込みを開始したというメールが事務局から来たので、京都文フリの反省を生かしてすぐに申し込む。「来年の文フリでは『笹塚diary』の三作目を売ります」とXにポストすると、中野さんが「ぜったい5月まで元気に過ごします」と引用リツイートをしてくれた。「楽しみにしています」「文フリ後に通販してください」というコメントに胸の前で手を合わせたい気持ちになる。
ああ、私は作るのだ、とまた思う。なかなか形にならなかった決意がやっと固まった。そして来年の「約束」ができたことが何よりうれしい。
2025.8.30:いきのびるための、
目覚めた瞬間から暑い。午前中は笹塚の方に「笹塚diary」の増刷分が届くことになっていたので、自転車で自宅を出る。
笹塚の家に着くとパートナーは起きたところだった。炎天下の中、自転車を漕ぐというひと仕事を済ませてきている私と、起きたばかりで、しかもちょっと昨日の仕事のことで気落ちしている(これは後から知った)彼とはなかなか噛み合わない。なんだか私ばかりが話している気がして「そっちも話してよ」というと、「朝からそんなに話せないよ」とむくれられてしまった。しかしすぐに謝り合って仲直り。偉い。我々は確実に学んでいる。
彼は休日出勤。増刷分の宅配便を受け取って自宅に戻ると、息子がやっと起きてきた。昼は焼きそばにする。豚肉とキャベツ、ピーマン、にんじん、もやしをたっぷり入れた焼きそばを一人分と半分、こんもり皿に盛って出す。残った半分を白ごはんの上にのっけて食べるのが好き。息子の「やっぱり、うまいな~」という言葉を聞いてニマニマする。
午後は、夏休みの宿題になっていた大学の講義動画を一緒に観た。数ある中から息子が選んだのは顧問の先生の母校と夫の母校と私の元勤務先の講義動画。やっぱり彼の大学選びは、自分の興味より「誰」がキーになるのかなと思う。
夕方から、田原町のReadin’ Writin’ BOOK STOREへ。浅井音楽さんとイーストプレス・中野さんによる「いきのびるためのエッセイ(仮)編集会議」。お二人がこれからつくろうとする本の編集会議を公開してしまおうというおもしろい試みだった。
満員の客席はいつも行くイベントとは雰囲気が違い、ありがちな「ばったり」も「偶然」もなく、登壇者のお二人が声をかけてくれてちょっとほっとする。
浅井さんが本やSNSに落とす言葉たちはユーモアと優しさに満ちていて、その言葉と彼のあり方に共感する人たちが集まってくる。そして書店やエッセイに興味を持つ人のすそ野を広げてもいる。近くの席から「こういう本屋さんもあるんだね、いいね」と話している声が聞こえた。
「編集会議」は浅井さんと中野さんの出会いの話から始まり、中野さんが浅井さんへ渡した本の企画書、損益計算書、営業部からのフィードバックまで大公開。そして、本の内容にも関連してくる「エッセイとはそもそもどういうものなのか」。
浅井さんは「ぼくはその人がどういう人なのか知りたい。みんなが思ったことを書き残していったらいいと思う。きっと誰かが共感するから」と言っていた。私自身もそう考えてエッセイや日記を読み、日記を書いている。
一方で、例えば道端に「のぞみ」のキーホルダーが落ちているのを見かけて、「『望み』が落ちてる……」と、面白く思うという話。それを聞いた中野さんが「ぼくは新幹線のキーホルダーが落ちてるな、で終わってしまうんですよ」と言っていたけれど、どちらかといえば私もそっちのタイプ。生活に余白が無くて、いつも日々をパツパツにつなぎ合わせて生きているような気がする。でもエッセイを書くことで、生活の「のりしろ」をつくることができるのではないか。そしてそれが「いき『のびる』」ために書くということなのだと。
客席からの「どうしても気取った文章を書こうとしてしまうのだが、どうしたらいいか」という質問を聞いて(浅井さんの回答は「そのスタンスを貫いてしまえばいい、中途半端が一番が恥ずかしい」だった)、自分にはそうした悩みがないことに気づいた。
私には私の事しか書けないからこそ、ありのままの自分を書き、それを読んでもらうことで、やっと現在の自分を肯定しているようなところがある。「わたしはこんな人間なんですよ!聞いて!」と大声で叫んでいるようなものだから、私ではない私を書くのでは意味がない。読者に正直でいたいのは自分自身のエゴでもあるのだと思った。
お二人の話を聞きながらどんどん目が開かれていくようだった。自分はなぜエッセイを読むのが好きなのか、そしてなぜ自分で日記を書き、人に読まれたいと思うのか。思いを巡らすうち、自分が普段、日記を書いている時の感覚を思い出した。文章を整理していくうちに、そうだったのか、自分はこう思っていたのかという発見の連続がある。浅井さんはエッセイを書くことを「自分のプリズムの形を知ること」ととも言っていた。私もまた、書きながら自分自身と編集会議を開き、自分の形を発見していたのか。
今の自分に差し迫って書かなければならない理由はない。そして、もう、書いて乗り越えなければならない日々も、何かを強く変えたいと思う今もない。人に報告したいような面白い出来事もない。あるのはただ、書き残しておきたいと思う日常だけだ。書かないこともできる。でも、書くことでこそ「いきのびる」ことができる。そして私は、書いている今の自分が好きで、書けなかったあの頃には戻りたくないと思っていて、これからも書き続けていきたいと思っている。
そして、今日は無性に書きたいと思った。
帰ってきてから「励まされました。私もこれからもいきのびるためにものを書いていきます」と二人に感想を送った。
2025.8.8:正しく狂うこと

横浜のホテルにも持って行った「日記のおかげで正しく狂えた」(藤本拓)を読み終えた。以前から愛読していた大好きなブログ「ふたしか日記」のふたさんによる日記本。
ふたさんは、読んだ本、観た映画やドラマ、街で聞こえてきた会話、見かけた風景、それを見て聞いて感じたことなど、とにかく日常のあらゆることを丁寧に記録している。そこには、日記を書かねばならない理由がある。残すことへの切実さがある。
「『あなたは絶対運がいい!』というテイストの本を10冊ぐらい手に抱えて、死に絶えた瞳のままエスカレーターで輸送されていく書店員さんを見かける。そういう風景をなかったことにしたくない。だから日記に残す。」
「もう好きとかじゃなくて。何か日記に残しておかないと、生活が成り立たない心身になっていた。」
残したい、と強く思う瞬間を記録し、その時に感じたことや考えたことを書き留めていく。
友達とお互いの寿命の話をして、ふたさんが60歳、友達が90歳、残りはそれぞれ1万日、2万日だ、と数える。その日の帰り道の星がきれいだったとか。そんな日々の連なり。
ふたさんは度々、これまでに自分が触れたものの中からその時の気持ちに合った印象的な言葉をひく。見たもの聞いたもの経験したことすべてが、ふたさんをつくりあげている、そのことに改めて心打たれる。人の中に生き続ける文学や音楽やメディアや芸術は、人が何度も思い返すこの世界は、なんて素晴らしいんだろう。
日記の中に登場する人たちの寄稿が挟まる形式の本は、珍しい気がする。寄稿者の皆さんの文章もまた、ふたさんの生活の延長線にあった。一瞬、ふたさんの日常を俯瞰して見ているような気持ちになったところで、また彼の日常の中に埋没するように戻っていく感覚。
時折、亡くなったお母さんのことが出てくる。日常の中でふと誰かに思いを巡らせることはある瞬間はあって、でもすぐに忘れてしまう。そのことを書き留めておくということだけでも、日記に意味はあるんじゃないだろうか。忘れたくない人のことを思い出した瞬間のことも、忘れたくない。
ふたさんにはこれからもずっと日記を書き続けてほしいし、その心をずっと記録し続けて行って欲しいし、それらを私たちに見せてほしいと思う。そしてふたさんはふたさんのまま、感じ、考えていってほしいと切に願う。
読み終えて思った。
私はそんなにバナナが好きじゃないけど、ふたさんのように朝ごはんにバナナを食べ、白湯を飲む生活がしたい。ジュンク堂のカフェで本を読みたいし、地下鉄を待つホームで点字ブロックの数を数えたい。季節は自分で決めたいし、一瞬で消える恋を毎日したい。
狂っている。でもそれは日記である限り正しい。
私はやっぱり日記が好きだ。