笹塚diary

渋谷区笹塚と秋が好きすぎるシングルマザーの日記

2025.10.18:かき氷と来年の約束


今週は仕事の出張が続いていて、久しぶりの笹塚。お腹を壊していたパートナーも、すっかり具合がよくなっていて安心する。蒼凛で天ぷらそばを食べ、十号通り商店街のスイーツハウスであまおうのかき氷を注文した。今回も、出てきたかき氷が写真よりも大きく見えて、びっくりする。

暑くも寒くもない、秋の風が気持ちのいいかき氷日和。店先のテーブルで大きなかき氷を二人がかりでぱくぱくと食べ進めていると「みんな見てる」とパートナーが耳打ちしてきた。確かに周囲を見渡すと、商店街を通る人たちが、私たちのかき氷をまじまじと見つめている。振り返って二度見する人もいた。通りすがりの人にじろじろ見られながらかき氷を食べるなんて初めての経験だったけれど、恥ずかしさよりも愉快さが上回って、楽しいひととき。私もまた、この商店街を歩く人をこんなにじっくり眺めたことはなかったと思う。

家に帰って二人で洗濯を干し、パートナーは外出。私は図書館経由で自宅に戻り、『笹塚アンソロジー』の著者校をゲラに反映する作業を続ける。今回は校正者の鉛筆も入っているので、かなり量が多い。

寄稿者の今井さんからは「全員とこんなに丁寧なやりとりをしているなんて」と言ってもらった。皆さんが入れてくれた赤字をゲラに反映していく作業は果てしなく楽しい。メールの文面や赤字からは原稿に込められた想いも感じることができる。笹塚で起きた事実関係や正式な店名などを確認する作業もまた、楽しいのだ。笹塚にまつわる本を作ることは、やっぱり自分にとってのご褒美なのだと思う。

来年5月の文学フリマ東京の申し込みを開始したというメールが事務局から来たので、京都文フリの反省を生かしてすぐに申し込む。「来年の文フリでは『笹塚diary』の三作目を売ります」とXにポストすると、中野さんが「ぜったい5月まで元気に過ごします」と引用リツイートをしてくれた。「楽しみにしています」「文フリ後に通販してください」というコメントに胸の前で手を合わせたい気持ちになる。

ああ、私は作るのだ、とまた思う。なかなか形にならなかった決意がやっと固まった。そして来年の「約束」ができたことが何よりうれしい。

2025.8.30:いきのびるための、

目覚めた瞬間から暑い。午前中は笹塚の方に「笹塚diary」の増刷分が届くことになっていたので、自転車で自宅を出る。

笹塚の家に着くとパートナーは起きたところだった。炎天下の中、自転車を漕ぐというひと仕事を済ませてきている私と、起きたばかりで、しかもちょっと昨日の仕事のことで気落ちしている(これは後から知った)彼とはなかなか噛み合わない。なんだか私ばかりが話している気がして「そっちも話してよ」というと、「朝からそんなに話せないよ」とむくれられてしまった。しかしすぐに謝り合って仲直り。偉い。我々は確実に学んでいる。

彼は休日出勤。増刷分の宅配便を受け取って自宅に戻ると、息子がやっと起きてきた。昼は焼きそばにする。豚肉とキャベツ、ピーマン、にんじん、もやしをたっぷり入れた焼きそばを一人分と半分、こんもり皿に盛って出す。残った半分を白ごはんの上にのっけて食べるのが好き。息子の「やっぱり、うまいな~」という言葉を聞いてニマニマする。

午後は、夏休みの宿題になっていた大学の講義動画を一緒に観た。数ある中から息子が選んだのは顧問の先生の母校と夫の母校と私の元勤務先の講義動画。やっぱり彼の大学選びは、自分の興味より「誰」がキーになるのかなと思う。

夕方から、田原町のReadin’ Writin’ BOOK STOREへ。浅井音楽さんとイーストプレス・中野さんによる「いきのびるためのエッセイ(仮)編集会議」。お二人がこれからつくろうとする本の編集会議を公開してしまおうというおもしろい試みだった。

満員の客席はいつも行くイベントとは雰囲気が違い、ありがちな「ばったり」も「偶然」もなく、登壇者のお二人が声をかけてくれてちょっとほっとする。
浅井さんが本やSNSに落とす言葉たちはユーモアと優しさに満ちていて、その言葉と彼のあり方に共感する人たちが集まってくる。そして書店やエッセイに興味を持つ人のすそ野を広げてもいる。近くの席から「こういう本屋さんもあるんだね、いいね」と話している声が聞こえた。

「編集会議」は浅井さんと中野さんの出会いの話から始まり、中野さんが浅井さんへ渡した本の企画書、損益計算書、営業部からのフィードバックまで大公開。そして、本の内容にも関連してくる「エッセイとはそもそもどういうものなのか」。

浅井さんは「ぼくはその人がどういう人なのか知りたい。みんなが思ったことを書き残していったらいいと思う。きっと誰かが共感するから」と言っていた。私自身もそう考えてエッセイや日記を読み、日記を書いている。
一方で、例えば道端に「のぞみ」のキーホルダーが落ちているのを見かけて、「『望み』が落ちてる……」と、面白く思うという話。それを聞いた中野さんが「ぼくは新幹線のキーホルダーが落ちてるな、で終わってしまうんですよ」と言っていたけれど、どちらかといえば私もそっちのタイプ。生活に余白が無くて、いつも日々をパツパツにつなぎ合わせて生きているような気がする。でもエッセイを書くことで、生活の「のりしろ」をつくることができるのではないか。そしてそれが「いき『のびる』」ために書くということなのだと。

客席からの「どうしても気取った文章を書こうとしてしまうのだが、どうしたらいいか」という質問を聞いて(浅井さんの回答は「そのスタンスを貫いてしまえばいい、中途半端が一番が恥ずかしい」だった)、自分にはそうした悩みがないことに気づいた。
私には私の事しか書けないからこそ、ありのままの自分を書き、それを読んでもらうことで、やっと現在の自分を肯定しているようなところがある。「わたしはこんな人間なんですよ!聞いて!」と大声で叫んでいるようなものだから、私ではない私を書くのでは意味がない。読者に正直でいたいのは自分自身のエゴでもあるのだと思った。

お二人の話を聞きながらどんどん目が開かれていくようだった。自分はなぜエッセイを読むのが好きなのか、そしてなぜ自分で日記を書き、人に読まれたいと思うのか。思いを巡らすうち、自分が普段、日記を書いている時の感覚を思い出した。文章を整理していくうちに、そうだったのか、自分はこう思っていたのかという発見の連続がある。浅井さんはエッセイを書くことを「自分のプリズムの形を知ること」ととも言っていた。私もまた、書きながら自分自身と編集会議を開き、自分の形を発見していたのか。

今の自分に差し迫って書かなければならない理由はない。そして、もう、書いて乗り越えなければならない日々も、何かを強く変えたいと思う今もない。人に報告したいような面白い出来事もない。あるのはただ、書き残しておきたいと思う日常だけだ。書かないこともできる。でも、書くことでこそ「いきのびる」ことができる。そして私は、書いている今の自分が好きで、書けなかったあの頃には戻りたくないと思っていて、これからも書き続けていきたいと思っている。

そして、今日は無性に書きたいと思った。

帰ってきてから「励まされました。私もこれからもいきのびるためにものを書いていきます」と二人に感想を送った。

2025.8.8:正しく狂うこと

横浜のホテルにも持って行った「日記のおかげで正しく狂えた」(藤本拓)を読み終えた。以前から愛読していた大好きなブログ「ふたしか日記」のふたさんによる日記本。

marereii.hatenablog.com

ふたさんは、読んだ本、観た映画やドラマ、街で聞こえてきた会話、見かけた風景、それを見て聞いて感じたことなど、とにかく日常のあらゆることを丁寧に記録している。そこには、日記を書かねばならない理由がある。残すことへの切実さがある。

「『あなたは絶対運がいい!』というテイストの本を10冊ぐらい手に抱えて、死に絶えた瞳のままエスカレーターで輸送されていく書店員さんを見かける。そういう風景をなかったことにしたくない。だから日記に残す。」


「もう好きとかじゃなくて。何か日記に残しておかないと、生活が成り立たない心身になっていた。」

残したい、と強く思う瞬間を記録し、その時に感じたことや考えたことを書き留めていく。

友達とお互いの寿命の話をして、ふたさんが60歳、友達が90歳、残りはそれぞれ1万日、2万日だ、と数える。その日の帰り道の星がきれいだったとか。そんな日々の連なり。

ふたさんは度々、これまでに自分が触れたものの中からその時の気持ちに合った印象的な言葉をひく。見たもの聞いたもの経験したことすべてが、ふたさんをつくりあげている、そのことに改めて心打たれる。人の中に生き続ける文学や音楽やメディアや芸術は、人が何度も思い返すこの世界は、なんて素晴らしいんだろう。

日記の中に登場する人たちの寄稿が挟まる形式の本は、珍しい気がする。寄稿者の皆さんの文章もまた、ふたさんの生活の延長線にあった。一瞬、ふたさんの日常を俯瞰して見ているような気持ちになったところで、また彼の日常の中に埋没するように戻っていく感覚。

時折、亡くなったお母さんのことが出てくる。日常の中でふと誰かに思いを巡らせることはある瞬間はあって、でもすぐに忘れてしまう。そのことを書き留めておくということだけでも、日記に意味はあるんじゃないだろうか。忘れたくない人のことを思い出した瞬間のことも、忘れたくない。

ふたさんにはこれからもずっと日記を書き続けてほしいし、その心をずっと記録し続けて行って欲しいし、それらを私たちに見せてほしいと思う。そしてふたさんはふたさんのまま、感じ、考えていってほしいと切に願う。

読み終えて思った。

私はそんなにバナナが好きじゃないけど、ふたさんのように朝ごはんにバナナを食べ、白湯を飲む生活がしたい。ジュンク堂のカフェで本を読みたいし、地下鉄を待つホームで点字ブロックの数を数えたい。季節は自分で決めたいし、一瞬で消える恋を毎日したい。

狂っている。でもそれは日記である限り正しい。
私はやっぱり日記が好きだ。

2025.7.17:死体を掘り起こす

どうして、こうも朝から気持ちがくさくさしてしまうのか。

環七沿いは神田川のあたりで一気に土地が低くなる。じりじりと照り付ける太陽を頬と腕に感じながら、日陰のない道を自転車で立ち漕ぎしていると、なんだかイライラしてきて、余計なことを考えてしまう。

笹塚二丁目の交差点まで来て、ようやく心がほっとする。ここから笹塚だ。水道道路には高い木がたくさん生えていて、どちらの車線にも日陰ができているのが素晴らしい。 

自宅を出る前に、珍しくパートナーから「早起きしたよ!」と連絡があった。それはきっと、いつ行ってもぐうぐう寝ている彼の優しさ(そしてちょっとした自慢)なのだろうが、笹塚の家に着いて汗をぬぐいながら、「早起きって言うけど、8時でしょう。息子は6時半に起きて学校へ行ったよ」などと憎まれ口をたたいてしまった。
その上、彼に頼んでいたことが果たされていなかったことに「校了前だから」と言われたことにむっとして、「校了前でも高校野球を見たり、サウナ行ったり、展示に行ったりしてたじゃない」と畳みかけ、「単に忘れてた、と言えばいいのに。校了だとか持ち出す必要はないのに」と言いながら、過去に彼がした言い訳まで掘り返してしまった。 

少し前に「『死体の掘り起こし』をすると人との関係が壊れる」と、どこかで読んだばかりだったのに。彼を傷つけ、言ったその口で自分も傷つく。彼は思いのほか冷静で、さらっと流してくれたけれど、私は自分自身にがっかりしてしまった。

「あの時は本当にそう思ったから言ったんだよ。でも、気持ちって変わるでしょ?」そうだよね、わかるんだけど、それなら、今日のあなたの言葉への信頼も揺らいでしまうじゃないか。 

出勤する彼を笹塚駅へ送る道すがら、「わたしのこと好き?」と尋ねると「好きだよ」と返ってきた。でも、これは今の彼の心であって、いつか変わる可能性があることを忘れないようにしないといけない。つないでいた彼の手を握り直した。

私はいつも目の前の人の言葉を信じ切ってしまうし、物事の変化をいまいち信じ切れずにいる。そして、きっとこのこともすぐに忘れてしまうから、ここに書き留めておく。

最近、朝からくさくさしてしまう理由が、睡眠不足にあるのではないかと彼から指摘されている。私は、あまりにも寝なさすぎなのだと。
確かに、私はいつも眠りたくないと思っている。今日がずっと続いてほしい。寝たら明日になってしまう……、というよりも今日が終わってしまうのがさびしい。彼の家では彼が部屋を消灯するのでしぶしぶ寝ているけれど、自宅では基本的に寝落ちだ。本を布団に持ち込み、読みながら気づいたら寝ているか、本が顔に落ちてきて、それを潮時に仕方なく眠るか。そんなわけで正確な就寝時間が把握できていないのだけれど、多分、2時頃なのだろう。起床は6時半。続きが気になる本は窓の外が明るくなるまで読んでしまい、そのままふらふら家を出ることもある。 子どもを産んでから、息子が寝てからは自分の時間、眠るまでは本を読む楽しみの時間、という感覚がずっとあって、この習慣をなかなか手放せない。

でも、また彼に「寝不足なんじゃない?」とニヤニヤされるのもなんだかしゃくだし、もう死体を掘り起こすようなことはしたくないし。反省する気持ちで、早めに電気を消して寝よう、今夜ぐらいは。

 

※これでした。

togetter.com

2025.6.14:「楡家の人びと」読書会

土曜は息子の弁当がないから、ちょっとだけ朝寝坊できる(毎回書いてる気がする)。のそのそと起き上がってリビングへ行き、フルーツグラノーラを食べている息子に、「今日は古文のテスト?」「部活の後、友達と遊んでくるの?」とうめくように問いかけると、うなずいて笑った息子は、「いいよ、寝なよ」と言ってくれた。

家を出た息子に窓から手を振りまた布団にもぐりこむと、変な夢を見て目が覚めた。昨晩からの重たい気持ちが悪化し、二度寝を後悔した。身支度を整え家を出る。

笹塚の家に着いてパートナーの前でひとしきり泣くとちょっとだけすっきりして、気晴らしに一番食べたいものを食べにいくことに。

開店時間直前に滑り込み、ぎりぎりのところで並ばずに入れた「蒼凛」。私はいつもと同じ天せいろを、パートナーは初めて頼むつけとろせいろを。香りの良いおそばとカリッと揚がった特上の天ぷらを食べて幸せ気分。店を出る頃にはすっかりごきげんになっていた。
私はいつもその店で一番お気に入りのメニューしか食べない。パートナーは毎回「冒険だ」と言って違うメニューを選ぶのだが、この日は店を出て水道道路を歩きながら「つけとろせいろもおいしかったけど、結局はマイちゃんが食べてる『いつもの』が一番おいしいんだよな」とぼやいていた。

ぼけちゃってるけど「いつもの」

午後は『楡家の人びと』(北杜夫)の第四回目となる読書会。自転車で代々木上原まで行き、千代田線に乗って、赤坂の「双子のライオン堂」へ向かう。
今回はわざわざ平林さん(先生)から遠い席に座ったのに「では、マイさんから感想を」と振られたので、思わず「この間も私が最初で、後から思い返して落ち込んだんですよ」と言ってしまった。「桃子ちゃんがかわいそう、桃子ちゃんが他人事に思えない、なんて間抜けな感想を言ってしまって。その後の皆さんの立派な感想を聞いて、恥ずかしくなったんですから」。
むくれる私に平林さんは「でも、最初の人はなんでも話していいんですからね。後の人は先に言われちゃった、ということもあるだろうけど」と言ってくれ、皆さんも私のつたない感想をニコニコと頷きながら聞いてくれた。さらに、今回の範囲が物語が大きく動く場面だったことと、読みながらとっていたメモにも助けられ、前回よりはマシなことが言えたように思う。

それでも、見当違いのことやおかしなことを言ってはいないかどうか。感想に間違いなんてないはずなのについ気になってしまう。「一番バッター」への期待にも応えられていない気がする。次はもう少し顔を上げ、皆さんの目を見ながら語りたい。

帰り際に「『笹塚diary』読みましたよ」と声をかけてくださった方と一緒に千代田線に乗った。私が本をつくっていることを店主の竹田さんから聞いて、読んでくださったらしい。「どこで降りるんですか?」と聞かれたので「代々木上原で降ります」と言うと、「ああ、笹塚ですもんね!」とうれしそうな顔をしている。私もうれしくなった。なんだか今度はちゃんと、ご期待に沿えた気がして。

2025.5.5:嵐の翌日

嵐の夜が嘘みたいな、晴れやかな朝。何事もからっと忘れられる二人だから一緒にいられるのだろうし、すぐに同じようなことでもめたりするんだろう。前にケンカしたときの内容を、二人して思い出せないなんてこともある。

彼の顔色も昨日とは打って変わって明るく、ほっとひと安心。カルガモを確認しに、午前中から笹塚散歩(カモパトロール)へ。今日は旧玉川上水両方の用水路で、それぞれ一匹ずつ発見。大きな木の影が揺れる水面でのんびり眠っていた。気持ちよさそう。

家を出る前から、お昼は「吟治」のつけ麺に決めていた。洋食屋「マック」の行列が珍しく、お店の前で止まっていたから一瞬迷ったけれど、口がすっかりつけ麺モードになっていたので初志貫徹。「卵がいい」「ねぎがいい」「麺がいい」「何度来てもいい」と二人で言い合いながら大満足。

一度家に戻って洗濯を干し、自転車で三軒茶屋へ。Twililightへヤスダ彩さんの写真展「Le Déclic Magique」を見に行く。テーマは「想像する練習」。作品の代田橋駅の小窓から見えた彼はいったいどんな人だろう? 存在や不在から想像する楽しみ。

ヤスダさんの写真を知ったのは昨年だけれど、実はその前から大好きな映画『サマーフィルムにのって』の宣材で拝見していたことを知った。彼女のきらきらしたまなざしが映りこむような、ノスタルジックな写真の手触りが好き。じんわりと若さの楽しさが伝わってくる。さらにご本人のことを知る前から、なんだか楽しそうに素敵な写真を交えた日記を書く方だと思い、はてなブログもフォローしていた。そんなヤスダさんに初めてお会いでき、感想を伝えさせていただくことができてうれしかった。

『ほんとうは、どうしたい?』(佐々木ののか・しいねはるか)を発見。発売日に買おうと意気込んでいたのに、近隣の書店のSNSで「品切れ」の投稿を見ていたから、並んでいるのを見た瞬間、うれしくてすぐ手に取った。レジで熊谷さんに「買えてうれしいです」と伝えると、「いい本ですよね。ちょうど再入荷したところなんですよ」。わあ、ナイスタイミング!

三茶に来ると必ず寄る、屋上が気持ちいい「a-bridge」へ行ってみたがあいにく満席。まあ、今日はa-bridge日和だものな。笹塚まで戻り、「みなと屋」でいちごミルクのかき氷とたこ焼きを食べることに。

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今日は珍しく私たち以外にお客さんはいなかった。いつも大混雑の店内でちょっとぴりっとしている時もあるおばさんとおじさんが、仲よさそうにわちゃわちゃ話していたので、思わず彼と顔を見合わせる。なんだか、めちゃくちゃいいものを見た。

笹塚の家から自宅へ戻る途中、環七の歩道を一生懸命走っている白髪のおじいさんを見かけた。孫らしき男の子(大学生ぐらい)に、バトンのようにお財布を手渡す。「おじいちゃんすげー!マジ助かった!ありがとう」と笑う孫に「おう!もうバス来てるぞ!早く乗れ!」と、阿佐ヶ谷駅行きのバスを指さすおじいさん。

ラソン大会の名前が書かれた真っ青なTシャツ、ムキムキのふくらはぎに、真っ白なスポーツソックス、ナイキのスニーカー。かっこいいなあ。おじいさんも自分の足で孫の役に立ててさぞうれしく、誇らしかっただろう。ひそかに拍手を送りたかった。

帰ってきてから『ほんとうは、どうしたい?』を第三便まで読み、胸がいっぱいになってぎゅっと抱く。お二人の往復書簡は、こんな自分のためになされているような気さえしてくる。また「自分のための本」を見つけた。『未知をひらく』、『クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書』の版元でもある地下BOOKSさんには、夏葉社さんと並んで絶大な信頼を置いている。今回もまったく裏切られなかった。

ご報告とお知らせ

また、ブログの更新が止まってしまった。

理由はいろいろあるけれど、「書きたいことがあまりにありすぎた」というのが一番大きい。このブログを本にしたところから本当にいろいろなことがあって。

その後日談の最初の方を「続編」として本にした。

『笹塚diary』はありがたいことに増刷を重ね、販売数が400部を超えた。現在、文フリに向けて増刷している分を含めると発行部数は600部になる。これまで手売りしたイベントは日記祭、ZINEフェス東京(二回)、ZINEフェス文芸。取り扱い書店も増え、独立系書店のほかに三省堂書店神保町本店、有隣堂グラングリーン大阪店からもご注文をいただき、並べていただいている。

渋谷のラジオ「BOOK READING CLUB」でもとりあげていただいた。毎週必ずpodcastで聴いている番組だったので、本当にうれしかった……!!今井楓さんが丁寧に読んでくださっておすすめしてくださっている。感無量。本を作って本当によかったと心底思った(ご紹介は番組開始後28分ぐらいから)。

#78 写生文を書く/笹塚diary - BOOK READING CLUB - Apple Podcast

今井さんの他にも、大好きな作家さんから感想のメッセージをいただいたりして、ひれ伏すようなことも多々あった。いずれもこれまでは面識のなかった方々で、それをきっかけに交流させていただいたりもしている。

日記を本にすると本当にいろいろなことが起きるものだ。Webストアを開いて最初の購入者の方が、以前からファンだった作家さんだった時には、「この展開、できすぎてないか?」とさえ思った。

一月は毎日違う場所(日記のワークショップ)で日記を書き続けていたけれど、二月、三月、四月と、人に見せられるような日記はあまり書けていない。Wordに日記は書き続けているので、時間をとってそれをまとめ、また本にしたいと思っている。そしてここでもリハビリのように一か月に数回でも更新できるようにしたい。

やっぱり誰かに読んでもらう日記を書きたいし、それを書き続ける人に一番憧れている。

自分がつくった本をたくさんの人に読んでもらうための活動はとても楽しかった。

でも私のベースはやっぱり、笹塚での生活であり、日記を書き続けていくこと。立ち戻ってまたリハビリをしていこうと思う。

 

【お知らせ】

5月11日(日)の文学フリマ40に出店します。

カルガモBOOKS」ブース【す-28】におります。本を買わずとも、顔を見るだけでも良いのでぜひお立ち寄りください(声はかけてもらえたらうれしいです!)

日記本は著者から直接買うのが楽しいと思っています。さっき話したあの人はこんな日々を送っているんだと、思い描きながら読めるから。

当日来れない方や遠方の方はWebストアやお取り扱い書店でお買い求めいただけたらうれしいです。