笹塚diary

渋谷区笹塚を愛し、この場所で生活するシングルマザーの日記

2024.1.19:写真を撮ること

夏の旅行から使っていた「写ルンです」を現像しに行った。でき上がりを待つ間に、パレットプラザの隣の紀伊國屋書店に寄る。

恋人が初めて編集担当した書籍が並んでいた。

オパンでパンを買った後には必ず紀伊國屋書店へ寄るのだが、いつも彼が一番長く足を止めるのがこの文芸の棚だった。その棚の一番良いところに彼が関わった新刊の書籍が置かれている。嬉しくなって、iPhoneで写真を撮って彼に送る。本にクローズアップした写真を、それから棚全体の写真を。

紀伊國屋の隣の100円ショップで息子が留学に使う消耗品を買いそろえた後、パレットプラザに戻って写真を受け取った。

現像された写真には見事に恋人ばかりが写っていたけれど、その中に2枚、私の写真もあった。どちらもすました顔で微笑んでいる。自分のことは好きじゃないけど、彼が撮る私は幸せそうで自分でも好きだと思える。もっと撮ってくれたらいいのに。

どの写真でも、彼はニッと不自然に笑っている。その笑顔は息子とそっくりだ。息子もカメラを向けると、やけくそ気味に思い切り笑う。その表情からは、思春期男子の照れくささと、面倒くささと、早く撮り終えてほしいという思いが伝わってくる。恋人もきっと同じような気持ちなのだろう。

最後の一枚はお正月に甲州街道で撮った写真だった。真っ暗でよくわからない。夕方なのにフラッシュを炊くのを忘れていた。

産後、一時期「カメライター」(情報系の記事を書くときに写真も撮るライター)をやっていたせいか、今も伝えることを第一優先にする写真を撮ろうとしてしまう。一枚の写真にとにかくたくさん情報を入れようとして、全部にピントがあった写真になりがち。いわゆる「良い写真」や「作品」としての写真はなかなか取れない。

そうした写真に大事なものは、技術や経験に加えて着眼点とセンスでもあると思う。私にはそれらが圧倒的に欠けている。そのことは、根深いコンプレックスの一つでもある。

20代の頃は、カメラマンのアシスタントをしていた当時の彼氏に絞りやシャッタースピードの調整を教えてもらい、下手なりにマニュアルで写真を撮っていた(使っていたのはOLYMPUSのPEN(フィルム)やRICHOのR8(コンデジ)だとか。フィルムはミーハーにもAGFA ULTRA100を使ったりもしていた)。

しかし、息子が生まれてからはそんな時間も気持ちの余裕もなくなった。だって数値を設定している間に赤子はファインダーから外れてしまう。そして笑っていたと思ったらもう泣いている。その一瞬の笑顔を、一瞬の景色を、CANON kiss x4のオートモードを駆使してたくさん、たくさん、撮った。

息子が成長し、中学生になってなかなか写真を撮らせてもらえなくなった今、大好きな笹塚の街を撮りたいと思うようになった。やっぱり私にはこの街を、素敵に美しく撮ることはできない。でも手元にiPhoneさえあれば、ありのままの街の姿を撮ることはできる。目に映る全てにピントを合わせて、残したい思いを、伝えたい景色を。