笹塚diary

渋谷区笹塚を愛し、この場所で生活するシングルマザーの日記

2024.1.16-18:生きたいと思った

16日の朝からなんとなく背中が痛かった。

肋骨の間にズキッと痛む神経痛があり、以前も患った帯状疱疹を疑ったけれど発疹は見られず、肋間神経痛ではあるようなのだが、その原因がわからず不安な日々を過ごしていた。

17日の早朝、猛烈な背中の痛みで目を覚ました。寝返りがうてず、全身がぎっくり腰になったような、捻ってしまったような痛み。救急車を呼ぼうかと思ったほどだった。

内科に片っ端から電話をして診てもらえるかを問い合わせたが、どこもインフルエンザの流行で混んでいるといい、息子の海外留学の出発日近かったので、感染症をもらってきては困るという思いもあって、笹塚の十号通り商店街の整形外科にかかることに。

内科ではなく整形外科を選んだのは、息子の留学のことだけじゃなく、何か決定的なことを言われたり、胃カメラ内視鏡沙汰になるのが怖いという気持ちもあったかもしれない。

整形外科でレントゲンを撮ったところ、特に異常なし、普通に生活をしている中で発生した痛みであろうとのこと。内科の痛みならまた少し違うのではという見立てだった。一週間、神経痛の薬を飲んで、痛みが治まらなければまた来てくださいと言われ、病院を出た。

処方された薬をお守りのように飲み始めたが、最初はなかなか痛みが治まらず、さらには食事をするたびに痛むようになり、その症状をwebで検索してみると「胃がん」「大腸がん」などの恐ろしいキーワードが並んでいた。つい最近、北尾修一さんの『自分思い上がってました日記』『調子悪くて当たり前日記』で、リアルな闘病記とストーマの大変さを読んでいたこともあり、震えあがった。

まず最初に考えたのは、息子のこと。一瞬、気弱になり、迷いながらも元夫に連絡をした。自分にもしも何かあったら、息子はこの人に一任しなければならない。離婚してからもそのままになっていた保険の受取人も変更しなければならないし、自分がいなくなった後も、とにかく息子が生きていけるように、重要なことは何かにまとめておかなければならない。私から電話を受けた元夫は、心配しつつ、行き過ぎた私の不安に困惑しながらもいくつかアドバイスをくれた。

……と、ここまで追い詰められていた。

18日にもなると痛みはやわらぎ、対面打ち合わせのために出社もできるように。

(さらに、これを書いている24日時点では、もうほとんど痛みはなくなった)

恋人もとても心配してくれた。そうだ、この人とこれからずっと生きていくのだ。息子の青春時代を、その成長を見届けて、その先もずっと、ずっと。

20代の時から死にたがりだった私が、今は死にたくない、ここで死ねない、生きたい、と強く思った3日間だった。