笹塚diary

渋谷区笹塚と秋が好きすぎるシングルマザーの日記

2024.11.27-29:うまくいかない仕事

11/27

久しぶりに外出のない一日。笹塚の家でたまった仕事を片付ける。バタバタとしていたらあっという間に夕方になってしまった。

自宅への帰り道、予約の本を受け取るために図書館へ寄った。
カウンターにいたのは「あの人」だった。
昨年、コテンパンにされた(結果、心身ともにダウンして今年からその案件の担当を外された)クライアントの担当者そっくりの顔と声をした図書館員の方。

一時期は、顔も声も話し方もその担当者そっくりな「この人」を前にすると動悸がし、全身がしびれたようになり、帰ってからも寝るまで滅入ったりもしたのだけど、この日は、彼女のエプロンについているカルガモのバッジに気が付いた。

カルガモ、好きなのかな……。

貸出の手続きをしてもらっている間、そのカルガモのバッジをずっと眺めていた。かわいい。

今日は体のしびれもなく、気持ちよく図書館を出ることができた。この日、彼女は「あの人」とは違って見えた。時間とカルガモが解決してくれたのかもしれない。

この日、借りた本は、『本気でトラウマを解消したいあなたへ』(藤原ちえこ)、『気がする朝』(伊藤紺)。

 

11/28
週明けからずっと取材撮影の仕事が続いていた。
そんな中で、張り詰めた気持ちがプチンと切れるような出来事があった。
誰かに嫌がられる仕事はしたくないのに。
自分自身の仕事に対して、途方に暮れるような気持ちだった。

パートナーに日中の出来事を打ち明けると「おつかれさま」と軽くいなされた。安易な解決策を出されたわけでもなく、突き放されたわけでもないのにひどく軽んじられた気がして「あなたにはわからないよ」と思わず怒りをぶつけてしまう。冷静になった彼に「おれに当たらないでほしい」と言われ、さらに悲しくなった。

彼が普段、取材と撮影を依頼する対象者は「プロ」だ。現場に来て「撮られたくないんです」などと嫌な顔をされることはよほどの限りないだろう。皆、前向きに撮影や取材に臨む。それが彼らの仕事だから。

でも私がつくっている媒体は違う。取材対象者はほぼ一般の方だ。自ら進んで撮影に協力しているのではなく、誰かに命じられてカメラの前に立っているときもある。仕事ではないから、メリットも謝礼もないことがほとんど。そうした人を撮影するのはむずかしい時もある。必死に気を遣って盛り立てて、それでも被写体が浮かない顔を見せる撮影現場はやるせなく悲しい。

二十代の頃の私は、俳優を取材撮影して雑誌を作る出版社の編集部で仕事をしており、それはほんの数年のことだったけれど、そのキャリアを途中で不可抗力(出産・育児)により奪われたという悔しさがいつまでも消えない。今の仕事も社会的意義があると思うし、やりがいも感じているけれど、こういうことがあるとまた彼のように「撮影を望む」人と仕事がしたいという気持ちがわいてきて、現実を見ては落ち込んでしまうし、奪われなかった彼のキャリアが羨ましくなる時もある。

いじけた気持ちになって、思わず「あなたの仕事に比べたら、私の仕事は大した仕事じゃない」と言ってしまった。そんな私に彼は「大した仕事なんてないよ」とぽつり。慰めてくれたのかもしれないけれど、それはこの心をも否定する言葉だと思った。

 

11/29

今日の仕事はうまくいった。現場もとても良い雰囲気。取材の最後に「どんな人と一緒に働きたいと思いますか?」と問うと、「私はあなたのような人と仕事がしたいって思うわ」と言ってくださった。私こそ、この方のように明るく前向きな人と仕事がしたいと思った。

昨日、なんとかやり抜いたことへのご褒美のような一日だった。

笹塚に戻り、パートナーにウキウキとその話をすると「昨日はもう、仕事の話はしない!って言ってたのに」とニヤニヤされたので、むっとした。彼は「よかったよ、元気になって」と言う。

私はこれからも定期的に昨晩のような感情と対峙していくのだろう。めげるな、自分。